学校って何だろう―教育の社会学入門
そういう恵まれた立場にあると考えたときに、日本の中学生が学ぶべきことは、もっとたくさんあるのではないでしょうか。自分に何ができるのか。学校という世界をどのように
うむ。これは、円城塔氏の作品と呼ぶべきものだと思う。と同時に、彼の作品の中の名作の一つなんじゃないかとも思います。映画を娘と見に行って気に入ったので、なおそうい
(取材記者が)携行していった握り飯を被災地で食べようとして口に入れるとすでに凍っていて、ジャリジャリと氷の音がしたという。(P.149、昭和八年の津波)
言葉にとって意味がすべてではない、というより、意味などその一部に過ぎない。(中略)ぼくらには明瞭に意識も把握もしようがない、呪いのような層の存在を語っているのだ
いや、国家財政とかは自分の領分外なので無視してましたが、こういう視点で戦争を読み解くのも興味深いです。 世論の問題、メディアの問題、統帥権問題等々あるけれど、民
かつて人類には、わたしがわたしであるという思い込みが必要だった。(P.326)
今の私のインドアと飲んだくれぶりばかりを見ている人は誰も信じないと思いますが、小学校の担任の影響で高山植物が割と好きで、登山も結構好きだったりします。特に大雪山
うーん。面白かったです。武帝が武官や文官、そして大いなる匈奴という敵国と切磋琢磨しながら強くなって行きそして老衰していくという一代記。北方さんの筆致で、無味乾燥
先の「教育という病」は学校という場の「安全」をエビデンスベースで論じた書で、こっちは、その教育の中身の測定の基本になる「学力」をエビデンスベースで論じた一冊。各
空港で娘に「これ、きっとお父さんハマるんじゃね?」って言われて、興味本位で一冊買ったのですが、さすが娘です。よく親を見ています。正しくハマりました。なので、結局
「お金さえあればなんだって手に入るじゃないか」 (中略)とんでもない勘違いですね。 素晴らしいものが手に入るのは、「どこかで、誰かが、作っているから」です。