学校って何だろう―教育の社会学入門
そういう恵まれた立場にあると考えたときに、日本の中学生が学ぶべきことは、もっとたくさんあるのではないでしょうか。自分に何ができるのか。学校という世界をどのように
「思い出したくない記憶にマイクやカメラを向けて、あえて心をこじ開けて証言してもらう。そこまでしてもらって番組作って、僕たちは何か彼らに報いることができるんですか
仮にも人が60年以上も生きていくのに「みっともなくない人生」なんてありえません。すべての人の人生は、客観的にみれば「恥ずかしくて目も当てられない」ような有様です
夏休みです。子どもらは家にこもって、漫画とネット三昧です。 うちは、子どものICTの利用に対して干渉することも禁じることもしていません。一応、小学生と中学生がそ
原爆投下を、たとえ半日でも前に情報的に見抜けなかったことは、情報部の完敗であり、広島、長崎市民の犠牲に何ともお詫びの言葉もなく、さらに日本始まって以来の敗戦の導
満州の広野を驀進する特急「あじあ号」の最高速度は、東京オリンピックが開催された昭和三十九(一九六四)年開業の新幹線「こだま」とほぼ同じだった。/満州国の首都の新
親たちも忙しいけれど、その子どもたちも忙しいのだ。(P.67)
市民もまた、ニュースに対する権利と責任を持つ。(P.177、「ジャーナリズムの原則」第十原則)
何か実体的な自分のアイデンティティというものがあるというより、人とのつながりのなかでその瞬間に立ちのぼってくるものが、そのときのアイデンティティだと。(P.31
元ネタを忘れたのですが、「子どもの教育で大事なのは、好きなことを見つけさせることではなく、人の役に立つことを教えることだ」と言う主張があって、その「人の役に立つ
今朝、弊社社長が朝礼で「今の日常と自分にとっての20歳の日常はずいぶん変わっている」という話があって、では、自分にとって20年前の「20年後も日常だよなぁ」と思