阿片王

満州の広野を驀進する特急「あじあ号」の最高速度は、東京オリンピックが開催された昭和三十九(一九六四)年開業の新幹線「こだま」とほぼ同じだった。/満州国の首都の新京には上下水道が整備され、東洋ではじめての水洗便所の敷設も新京から始まった。(P.130)

建国後わずか十三年で地上から消滅した「満州帝国」という人工国家を視野に入れない限り、「戦後日本」、とりわけ高度成長期の日本の本当の姿は見えてこない。(P.11)

満州っていったい何なんだと思うわけです。今から75年も前にこんな状態の実験国家を作っていたわけですよ。日本という国は。変な話、変な戦争しないで満州を形式上の同盟国として保持していたらどんな先進地帯ができていたんだと。
その満州を牛耳っていたキーパーソンとして、著者は甘粕氏と里見氏にスポットを当て色々と調査してきている。本作は、阿片王と呼ばれた里見氏の調査のドキュメンタリー。
その当時の阿片の価値は

アヘンを制するものが、支那を支配する。関東軍も国民党軍も、まさに真剣にそう考えていたのである。(P.185)

東条は(アヘンの産地である)察哈爾、綏遠侵攻作戦を強硬し、中国との全面戦争のきっかけを作ることになった。アヘンが日中戦争の戦線を拡大し、ドロ沼化させていったともいえる。(P.188)

というぐらい重要物資だったようです。しかし、

「阿片工作は陛下のご遺志に背いているのだから、絶対外部に漏らさぬように」(P.209)

という事情も働いてこっそりと民間人に託すわけです。でも

彼等(食い詰めた一旗挙げようとしている日本人のこと)は治外法権を盾に日の丸の国旗を掲げて公然と阿片を売つているのである。/だから中国人の内には、日の丸の旗を見てこれが阿片の商標だと間違えているものが少なくなかった。(P.178)

のように、今までやらかした連中はたいていこんな感じでがらが悪いし小物ばかり。里見のやる阿片工作はさておき、その利益分配の腹積もりもかなり変。戦争している敵味方関係なく分配。

阿片で得た利益の半分を(中略)蒋介石に渡し、四分の一は日本側中国主席の王精衛(王兆銘)が取って日本占領地区の統治費用に使い、残り四分の一の八分を軍部に納めて、あとの二分を里見のおじさんが色々な経費を含めて取っている(P.217)

何が何やらって感じ。どんなこと考えてる人なのか分からないけど

<本庄軍司令官の許に挨拶に行くと。「今度は貴様スグやめることはならんぞ」と私の放浪と投出し癖知つて居られる将軍から諭されて恐縮したことを覚えて居る>(P.151、里見による国通時代の回顧)

「人間なんていうのは欠点のないやつなんていないよ。困ったときに困ったといわねばダメだ。いつも理路整然としているやつはおかしいんだ」(P.239)

「人は組織をつくるが、組織は人をつくらない」(P.225)

という感じの人だったらしい。現代に無縁かと言うと案外そんなこともなく

「阿片王」といわれた里見の業績は、アヘン販売による独占的利益を関東軍や特務機関の機密費として上納する隠れたシステムをつくりあげた点に目が向けられがちである。だが、現在の影響力でいうなら、それよりむしろ、今日の共同通信と電通を発足させる引き金となった国通設立に尽力したことがあげられる。(P.149)

と、今のマスコミに甚大な影響を及ぼしていたわけで。でも、もちっとましな影響を及ぼすようにして欲しかったなぁ。でも、里見氏はこういう調査ドキュメンタリーもいいけど、歴史小説とかで是非、満州ものをやって欲しいな。著者は誰でもいいけどね。

日本人の流入も激しく、最盛期にはイギリス人居住者を抜くまでになった。長崎から船で一昼夜明けると、もうそこは上海だった。上海は下駄ばきで行ける日本から一番近い「外国」だった。(P.115)

「軍人どもが謀略を企んでも、この通りミミッチイのだから、本当の謀略などできるものではなかった」(P.225)

「他人の子どものためには一生懸命だったんですね。うちの父親って人は、まったく、人さまのためには誠心誠意尽くす人なんですね。/でも、不思議と腹はたちません。自分のことだけ考えている人が多いなか、なかなか立派なことじゃないですか。娘として誇りに思います」(P.347、里見の右腕だった徳岡の長女)

凡俗に堕ちて 凡俗を超え/名利を追って 名利を絶つ/流れに従って 波を揚げ/其の逝く処を知らず(P.554、里見の墓碑銘)


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