20年前の日常

今朝、弊社社長が朝礼で「今の日常と自分にとっての20歳の日常はずいぶん変わっている」という話があって、では、自分にとって20年前の「20年後も日常だよなぁ」と思っていたことって、どんなんだったんだろうなと。

結構、20年前って、ちょうど酒を本格的にかっ喰らいだしたころで、あと、ちょうど大学3年で、希望の学科に移行できて益々勉強しようとか、金ないけど進学したいなとか思っていたころ。
多分、ずっと大学に来て、ずっと学問をやる日常だと思っていたんだろうなぁ。でも、その日常イメージが次の年には崩れて、マスコミ就職して、その辺から日常なんてちゃんとした生活のありようなんて、見えなかったなぁ。

マスコミやめてから、少し働いて大学院行って、そのあと就職して。その辺の日常は、酔いつぶれることだったなぁ。なんかひたすら飲むの。あとは、狂ったように働くの。よく生きてたよと自分で思う。すさんだ日常という言葉がぴったり。このころだって今みたいな状態なんてなんも想像できなかった。

日常が変わったのは結婚してから。ではなく、子供ができてからかな。結婚してすぐは、東京で普通に働いてたし、名古屋に移ってすぐは嫁はそのまま入院してたので、相変わらず酔いつぶれるのが日常だった。名古屋に戻って、嫁と子供が一緒に病院から帰ってきてからだな。完全に変わったの。
まっとうな、家事とか子守とか、それの段取りを頭で考えてやるのが日常。その合間で、仕事。これが日常。今でも、まだそういう日常。お客が増えて、出先が増えてというのはあるけど、でも、子供とどう過ごすかを考えるのがやっぱり日常。で、たまに、仲良しな人々と飲んで酔いつぶれる。こういう日常。それなりに、子育ての考えがあわなくて、夫婦喧嘩をたまに交える。で、仲直りに頭を悩ませる。これも日常。

こんな幸せな日常、多分ないよな。あんな荒んだ人生がどうしてこうなったのかはいまだに持って謎。妻子とお客様各位と仲間たちに感謝。日常って変えようと思って変えれる部分と、僕のように外的要因で劇的に変わるものでもある。でも、せっかくなら日常は幸せなほうがいい。
どんな人生にも幸せを感じる感受性だけは持っていたいな。