感じない子どもこころを扱えない大人
親たちも忙しいけれど、その子どもたちも忙しいのだ。(P.67)
結局こういうことなんだと思うよ。なんで子供まで忙しいんだ。そもそも、子供がやらんでいいことを勝手にやらせて忙しくしているのが大半の大人で、そのせいで、子どもまで忙しいのは問題だと思う。習い事の大半は不要だと思うよ。それこそ、親も子も忙しくならない範囲でのみやるべき。学校の学びこそ、余裕を持ってしっかりやるべきなんだけどね。
気持を十分咀嚼できない人が増えているという話。んなの、単純で
「感情よりも効率」「テキパキと進めることが大事」という、仕事の世界であたりまえになっているものが、家庭のなかに持ち込まれ、当然のこととなっているのが、日本社会の現状だ。(P.64)
こういうことが原因だと思うよ。企業みたいに効率的な運営こそがすべてってのは、やっぱり間違っている。そういう風に、いつからかみんな洗脳されてるように思う。いいじゃん、ちょっと位、家庭の中や地域の中が非効率だって。日本人ってなんでも単一尺度が好きで、学校の成績とか、持ってるお金とか、それだけで何でもはかろうとしちゃうせいだからかなとも思う。で、効率化しても
大人も子どもも、「いつも充実していて、楽しそうにしていなくてはいけない」という呪縛から解き放たれる必要がある(P.191)
とか思っちゃうから、どんどんスケジュールは埋まっていく。ビジネスはある面シビアにやるべきだけど、個々の育ちは、個々それぞれでいいってことにすればいいんだよ。
父親の育児参加というが、「もっとこうしたら」「そんなやり方じゃダメだ」とあれこれ口だしをされ、自分のやり方を批判されるぐらいなら、仕事に専念してもらいたくなるというのも母親の本音だ。(P.95)
こんなのは最悪。口出しは一切しないで目のつかないところでこっそり良い方向に軌道修正すればいいだけ。本当に、忙しい子どもなんておかしなものが出現したのが原因だと思うけどね。子どもはそこらで遊ばせとけばいい。小学校で大人が喜ぶ特別なことができたって、その子が大人になったら世の中の価値は変わっちゃうんだから。自由に遊んで未来の価値を拾うのが子供の仕事、だと僕は思うんだな。
ルールとして、「いじめはやめよう」と言ったところで、子どもたちには、リアルなこととしては、伝わらない。(P.47)
(叱るだけだとしたら)「正-誤」の世界に、一足飛びに行ってしまうことになる。「お互いの気持ちをわかりあい、気持よく存在するためにあるルール」と言った部分が抜けおちてしまう。(P.53)
大人が「自分はこうだから生きている」という明確な答えを持っていれば、子どもはわりあい素直に納得するのではなかろうか。(P.163)
おきていることが見えている。でも、それを自分がなんとかしなくては、とまで思うことができない。単純な人為的なミスによる事故が多くなるのもうなずける。(P.197)
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