どんな社会に暮らしたいのか?
懇意にしていただいている公民館長のブログから、
「Did
you know 2.0」という動画を知り、早速アクセスしてみた。
※公民館長のブログエントリー中ほどの徳力さんのブログが日本語字幕になっていてわかりやすい。
ボクには恥ずかしながら子どもがいないのであまり
声高に語る資格はないのかもしれないが、本当に今、この激変する世の中を直視することをせずに、未来を語ることほど、
陳腐なことはないのかもしれない。
昨日、旭川市長の私的諮問委員会、都市戦略研究会の第一回目の会合に出席してきた。 そこでも少し言わせてもらったがわれわれがどんな未来に暮らしたいのか、 明確なビジョンなくして都市のグランドデザインを語るなどおかしな話ではないかと。
ボク達が子どものころ、未来都市とか未来の暮らしとかを絵に描きなさいといわれたら、子どもたちのだれもが、 ペンやクレヨンでアトムが飛び回っているような未来都市を描き出したように思う。
おそらくそれは、当時の大人たちの未来に対する明確な意思であり、それを語り聞かされたボク達が、子どもらしい想像力をフルに活用し、 思い描いた未来の暮らしであったはずだ。
今の子どもたちは、未来の暮らしを描くとき、どんな都市像を、どんな生活スタイルを描き出すのか? ボク達は大人は子どもたちにめざすべき未来の姿を想像させて上げられるだけの、ビジョンをもっているのか?
先日の北海道中小企業家同友会全道青年部交流会in函館にて、株式会社音別の 本城愼之介社長は言う。 自分がどうなりたいかという自己実現を追求した結果、個人は豊か過ぎるほどの生活を手に入れた。しかしながら、 その一方で私たちはどんな社会を作り出してしまったのか?
ある意味、高度成長からバブルの時代。ボク達が夢見た未来は一通りの完成を迎えたように思う。しかしながら、 だれもその先を思い描くことのなかった結果が今の世の中ではないのか?
今の大人たちに必要なことは、本城社長も言うように、自分たちがどんな未来に暮らしたいのか、夢を持ち、 そうした社会を実現しようとする明確な意志だ。
そんなことは政治の仕事だって?
確かにそうした一面もあるだろう。しかしながら、これも本城社長の講演会のなかで紹介された西村佳哲さんの「自分の仕事をつくる」 のなかで語られている言葉を紹介したい。
『しかし、結果としての仕事に働き方の内実が含まれるのなら、「働き方」が変わることから、 世界が変わる可能性もあるのではないか。
この世界は一人一人の小さな「仕事」の累積なのだから、世界が変わる方法はどこか余所にではなく、じつは一人一人の手元にある。 多くの人が「自分」を疎外して働いた結果、それを手にした人をも疎外する社会が出来上がるわけだが、 同じ構造で逆の成果を生み出すこともできる。』
常識と思われる概念に縛られず、今、何が起こっているのかを正しく見つめ、その上で自分はどんな社会で50代を60代をそして、
老後を迎えたいのか?そうした意志を持ち続ける上で、今、わが社は何をなすべきか、どんな働き方をし、
一つ一つの小さな成果をどう蓄積するべきか考えて行きたい。
そして社員ひとりひとりが小さくても確実な仕事の成果を積み重ねていけるようなそんな会社を創りたいと思う。