10年
10年前の今日まで、ボクは飲酒運転の常習犯でした。
学生時代から冬場はスキー場で仕事をし、
北海道に帰ってからもリゾートへの就職を選択した自分の住まいは自家用車なしではどこに行くにも大変な、
いわゆる公共交通のない地域でしたから、飲みに出かけるのも当然、車。
「田舎だから仕方がない。」
そんな言葉で自分とその行為を正当化し、普段から、さしたる罪悪感もなく、飲酒運転という行為を続けた結果、ボクは、10年前の今日、 自損事故を起こし、同乗していた会社の後輩を死に至らしめました。
10年たった今でも、事故の瞬間の光景は頭から消えることはないし、 その瞬間から身の回りに起こったことはほとんど鮮明に記憶しています。とんでもないことをしでかしてしまった自分への自己嫌悪と人、 ひとりの人生を奪ってしまった申し訳なさ、これから、どうなってしまうのだろうという不安。
10年間、そうした気持ちがボクの中から消えることはありませんでしたが、何よりもそんな自分が、どう生きるべきなのか。果たして、 これでいいのか、ご遺族の皆さんは今の自分にどう感じていらっしゃるのか?常にそのことがボクの頭の中にありました。 裁判で執行猶予付きの判決を受け、社会にいながらにして更生の機会を得たことは、ご遺族の本当に寛大なお気持ちの結果であり、また、 ボクを支えてくれた家族、友人、知人、そして社会の寛容のおかげであります。ボクは、生涯、その深い寛容の意味を考え続けるつもりですが、 10年間の自分自身が、その寛容に応えられるものであったかどうかはまったく想像がつきません。
ただ、あえて、その道を導き出そうとするなら、(そして、あえて導き出すしか今のボクには生き方を決めるすべはないのですが。) 自分自身、今の立場でできること、今の立場だからできることを、ただ真剣にやり遂げること、経済という枠組みの中で、己の利、 自社の利だけを考えることなく、地域の未来に責任を持てる生き方をすること、そうした会社を作り上げることが、 ボクを再び社会においてくれた寛容に応えるミチであるように思うのです。
ボクが、この場でこの話を書くことも果たしてその寛容に応えるものなのかどうかも、はっきり言うと自信はありません。もしかしたら、 じっとウチに秘めているべきことなのかもしれないし、同じ書くにしてももっとプラベートな場で書くべきことなのかもしれない。 ボクがしでかしたことは人間として決して許されることではないし、ご遺族のみな様にとって、 ボクという存在はどんなものあるかをあえて申し上げるまでもないでしょう。
しかしながら、ボクが寛容の意味を考え続け、そのことが、現在の会社経営に対する一つの背景にあるとするならば、社員はもちろん、 (ウチの創業スタッフには、早い時期に話しをしていますが。)取引先の皆様、 関係するすべての皆様に知っておいていただくことは大切なことなのではないかと、そう、考えた次第です。
あの日から10年。ボク自身の現在の気持ちの確認と、ボクと共通のベクトルで未来を見据えてくれるスタッフ、お取引先、 友人の皆様にボクの背景を知っていただくために、不安ではありますが、書かせていただきました。ご遺族はもちろん、 10年前の事故の関係者の皆様にあらためて、謝罪させていただきますと共に、10年間、ボク自身を支えていただきました、家族と友人、 知人の皆様に本当に感謝申し上げます。