恩人が死んだ
恩人が死んだ。
故人を偲ぶ会を有志でやるとのことで、横浜の出張がちょうど次の日からあったので、予定を少し変更して参加した。ここ数年体調がよろしくないとのことで、お会いできずにいた。残念だった。
そういう場に出ると、しばらくはやはり色々思い出してしまう。
彼は、日本のSOHOという新しい働き方の業界をリードした、SOHO支援のみならず起業創業支援界隈の人なら目立たないが関係者なら万人が知っているといっても過言じゃない方である。知らないという人は、はっきり言って新参者かもぐりか不勉強な輩といってもいい。
私をのらと名付けたのは確かに、島根の宮司起業家であり旭川の地域起業家である。が、この呼び名を定着させて全国に広めたのはこの人である。この働き方に価値があると、僕にたぶん人生で最初にして最後のプライズともいえる「第一回日本SOHO大賞」を下さったことは感謝に堪えない。
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旭川SOHO協議会を応援していて、そこ主催のホームページコンテストの審査員として呼ばれたときに、一緒に審査員としてご同席したのがご縁だった。ホームページなんて呼称がある時点で相当大昔である。その夜、相当楽しく飲みすぎて「冷凍マグロ事件(詳細は極秘事項である)」がおこったんだよな。赤面の至りである。
その日から、薄く長く親交が始まって、三鷹のSOHOフェスとかに呼んで頂いたり、些細なイベントでも情報をこまめに頂いて入り浸って、三鷹の在活市民なんて呼ばれ方をした時期もありました。私が一時期市民活動支援にシフトしていた時期にも、三鷹の先進的取り組みをされている方々とも繋いでいただいて、いろいろ学んだんですよね。そうそう、某市の市民放送局のDなんかもここから学ばなかったらできなかったし、先駆的な市民活動センター運営ができたのも彼のおかげです。で、その某市のビジネス支援スキームの組み立てもなかったでしょうしね。市の視察団に「見に来なくても舟橋に聞けばいいよ」というのはやめて欲しかったです(笑)
僕の手柄見たくなっているけど、SOHOリレーフォーラムだって、彼が誘導したようなものです。僕が全国ちょろちょろしているのをいいことに、次々日本中のSOHOのキーパーソンを僕につないでSOHOネットワークを気付いたのは事実上彼です。なんというか、僕はただのスイッチングハブで、彼が各地のリーダーに「このハブに線をつなげばいいよ」って教えて歩いたようなものです。
そうそう、ほぼ同時期に亡くなった経営支援機関の神様的にあがめられるか死ぬほど嫌われるかという感じのOさん(こっちは公的にも有名だよね)でさえ、彼の前では借りてきた猫のようなものだった。で、苦言を呈したいときには僕にメッセージを預けて静岡経由で帰らせるとか、きめ細やかにSOHO仲間の状態を広く見ていた方だったなと。
私も大学人になったし「のら辞めましたよ」って報告したかったな。それにはタイミングが遅かった。でも、6月からあっちこっち出張しまくりなっているので「大学人でも、のらのままでした」って報告したかったな。天から「のら続けろや」って言ってるのかも。
サクラの絵の交換みたいなことを市民活動センター間でやった時に、子供連れて三鷹側の展示状態を見にいったら子供と一緒に本当に子供みたいに遊んでくれて、嬉しかったなぁ。
つらつら書いていたら、思い出が止まらない方だな。
思い出のすべてに、なににでも感謝したいけど、彼にはこういいたい。
「人生を豊かにしてくれて、本当にありがとうございました」
