のらの成り立ち~その8:第一新卒期~
見事に就職しましたが、まずは研修ということでひと月ばかり東京に研修に出ることになりました。
人生初の内地住まいということで、東京という都会に出ました。でも、なんら浮ついたこともなく、ひたすら三軒茶屋の宿泊所と砧の研修所を往復しておりました。
で、研修初日にいきなり英語のテスト。当然ダメダメ。で、研修中もおのぼりさんなので、なんら役立たず。最後のチーム分けをするわけなのですが、そのときに研修講師に「君ら一番できないの集めたから」と言われる始末でして。そのときの仲間とは時たま連絡をとって少し酒を飲むぐらいはしています。でも、ドロップアウトしたのは僕一人でして(^-^;。他の人はみんなちゃんといい番組作りをしています。はい。
今でもその研修で覚えているのは「巨悪を撃つな、中悪を討て」「所詮、許認可事業」という放送の情け容赦のない現実の解説だったりします。あと、放送法には異様に詳しくなりました。まぁ、そういう職場ってことですね。
で、配属先旭川に戻ってきます。まぁ、ふるさとなのでやりやすい反面、顔見知りばかりでやりにくいところもあったりと、中々微妙な感じでした。
初仕事が、旭山動物園で走り回ること。なんというかですね、バイト以下の扱いで中々やな感じでした。その次が、焼尻島のロケのお手伝い。この辺から多少人間扱いしてもらえました。結構楽しかったのを覚えています。その次が、今日の料理の取材。いい結果が出なくて、先輩に続きをフォローしてもらいました。で、その次が美深町を題材にしたプチ紀行もの。一応、卒業した中学校のある所なので、色々頑張って、周りにもいいスタッフをつけてもらって、いい番組に仕上がりました。その次は、新人競作ってことで、北海道の人紹介シリーズで自分の恩師を紹介して何とかこなしました。
実はこの辺から仕事の雲行きが怪しくなりました。というのも、何をどうしていいかわかんないんですね。番組の作り方は、ロケについていったり、野球中継したりと身についてはいくのですが、結局、自分で何か取材して作れといわれても、自分で作りたいネタがでてこない。
一応、児童福祉にテーマを絞って取材をしてはいたのですが、番組にしようというよりもこの事態をどうにかするのは違う方法じゃないかとか思えたり。それ以外にも、にっちもさっちも行かない感じで追い詰められてきました。他人に伝えたい何かがない、って言うことにとことん追い詰められてしまったんですね。今思えば、そんなの気にしなくても良かったんでしょうけど。
結局、うつ病ということになって、始めは通院。その後入院。でも、よくならないので、再入院。結局職場をやめることにすることで、あっさり治りました。まあ、うつの原因が職場だけだったってことなんでしょうね。今もうと結構楽しい入院生活でもあったので、この辺も治った要因なんでしょうね。
とはいえ、やめてそれっきりで遊びほうけるわけにもいかず、おまけに給与がいいのに使う暇がなかったおかげで貯金もたまったので、いっそ今一度大学院に行って子どものころからの「科学者になりたい」という夢でも果たそうかしらと、札幌の実家(当時は親は札幌住まいだった)に転がり込んで、大学院受験をすることにしました。
ちょうど一年、社会体験をした格好になりました。