のらの成り立ち~その7:学生期後編~

さてはて、意外と間が空くことなくこのコーナーを書き足せるわけですが、仕事の逃避で書いている感じもしなくもありません。

ま、そんな感じで、赤い組織とも手が切れて、子供の頃の夢の科学者を目指すべく、理学部化学科の3年生となったわけです。学ぶ楽しさもさることながら、学ぶための世の仕掛けの多様さにも目が開かれてしまいました。で、科学者もさることながら、研究と教育を両立し、おまけにイベント企画までやれちゃう素敵な仕事ということで、学芸員という職種があることを知りました。

で、今までの性向性から考えるに、それを取りたくなってしまって、教員を目指すわけでもないのに、必要な関連単位を怒濤のようにとろうとしてしまい、現状ではありえない(大学の単位管理システムが有能なので)ことですが、同じ日の同じ時間に2つの授業を受けるという状況がちらほら。さらに、同じ日の同じ時間に3つの授業を受けるという日が、今も忘れない、金曜の一時間目に発生したわけです。
で、恐ろしいことに全てきちんと単位を取得しましたが、最後の必要な単位である博物館実習に出れないということで、資格取得は結局相成りませんでした。

今思うと、この一年間は、非常に地味でした。だって、勉強と研究だけなんだもん。あ、あと引っ越しました。すごい人材を多数輩出しているいかがわしい下宿から、カテリーナ札幌という、名前がいかがわしいワンルーム。カクテルを作り始めた頃ですので、家がバーのようになっていました。

4年に上がるときに、今度は研究室の配属を決めることになりました。多分、これが自分の人生の大きなターニングポイントになったんだろうなと思います。なぜか、僕の行きたいと公言していた研究室が人気だったんですね。みんないい人だったので、僕だけまずその研究室にして、その他でジャンケンでもくじ引きでもって言ってくれたのですが、研究室としては行きたいんだけど、別にそのときにはバリバリ研究だけの人生っていう気持ちでもなかったんよね。で、結論は人気のない研究室に動いて調整要員になることを決めたってわけ。で、お蔭様でもめることなく完全に研究室配属は終了。

研究生活に入るわけですが、実は案外やってみたら面白かったんですよね。テーマは光るプランクトンの体内時計を調整する物質の体内での挙動の大雑把な流れを確定するって奴。まぁ、関心のある人は、こいつを買って読んでください。なるほどこれが研究なんだっていう片鱗ぐらいは見れたので、すごくラッキーだったと思います。

就職活動は、就職氷河期でしたので、大変だったと思われがちですが、志望が広告代理店・マスコミでしたので、平時でも充分大変なジャンルで余りしんどさはありませんでした。それでも、電通・博報堂を受験に東京まで何度も行きました。地元の広告代理店を受験したくて、直接電話をかけまくると「もう閉店するから」という、とっても切ない断られ方を沢山しました。そうこうしてたら、NHKに就職が決まってしまい、なぜかマスコミになることになってしまいました。

後は、しっかりと研究をまとめて、きちんと発表して、きちんと卒業しました。
で、NHKの研修を受けに東京へと旅立つのでありました。