のらの成り立ち~その5:生徒期後編~

まるっと、半年ほど放置していたカテゴリーの投稿です。なんとなく、読書していたら思い出したので。

志望高校が不合格になった日は、すでに引越しをして、上富良野という町に到着してすぐで、駅前の焼肉を家族で食っていたような気がします。で、焼肉屋で電話して内々に不合格ということを確認したのを覚えています。
昔は、個人情報保護もひったくれもなく、なんとなく合格情報というのは洩れ伝わるようにできておりました。特段、悲しいという感覚もありませんでした。テストは実際にできませんでしたし。

親には、高校落ちたらどっかに丁稚だぞといわれていたので、どっかに丁稚に行くんだろうなぁと思っていたら、公立高校の2次募集なるものがあるということで、上富良野の隣町の美瑛町の高校を受験しました。パチンコ屋の二階で、帰りに親と飯(クリーム系のパスタ)を食ったことを良く覚えています。ちなみに、2学期から新校舎に代わりました。
中学時代にプログラムを組むことを覚えたので、こいつで飯を食おうと思って、親に頼み込んで情報2種の試験に出るという言語のFORTRANが動く最安値のPCセットということでMSX2とMSX-FORTRANを買ってもらい、通信教育で情報2種と1種の勉強をさせていただきました。結局受験しなかったのですが。
電車で通学していたわけですが、まぁ、あんまりお世辞にも素行の良い学校ではないわけです。いわゆる底辺校です。なんたって、学年によっては、卒業時にクラスが一個減るぐらいで。とはいえ、いろいろな人がいて結構楽しめましたし、価値観も広がったなぁと思います。
一学期の通学時の電車の車中で、見知らぬ違う学校の女子に制服のボタンのマークを見られて「こいつ、美瑛ジャン。ばかじゃん」と聞こえよがしにいわれ、「何でそんなこといわれにゃならんねん」、という気持ちが出たあたりから、人生狂いはじめました。
ものすごく頭にきたんですね。で、馬鹿呼ばわりされる理由はなんだろうと思い色々友人に聞いたところ。たぶん、いわゆる、偏差値が低いことがよろしくないんだろうなと。偏差値が低いとなにがダメだというと、いい大学に進学できないということらしいと。「だったら、いい大学うかりゃもんくねぇんだろう!」と、一念発起し、受験勉強をはじめてしまい、せっかくのPCと通信教育(ちゃんと終わりましたけど)が無駄に。お父様お母様ごめんなさいと今だからいえます。一応、志望校は北海道で一番いい北大。だって、それしか大学知らんかったんだもん。あるいみ、やっぱり馬鹿だったのか(苦笑)
ちなみに、親類の大半は「かなーり、ありえねー」ってことで、バカにしてくださいました。今でも根に持ってます。

で、この辺で感情が燃え盛ったあたりで、なんと、高校なのに転校する羽目になってしまいました。
まぁ、いろいろありましたが、上川の超底辺校から網走の普通の高校へいわゆるランクアップ型の転校という、かなり珍しい転校をやってしまいました。これに関しては、当時の両校教員各位の努力に感謝しております。
この転校がまた更に自分の人生を訳解らなくしていきます。まぁ、がっちり進学希望なわけなんですけど、さすがに国立大学理学部という進学希望者はここでも稀有だったおかげで、勉強に関しては比較的なんでもありに待遇してもらいました。
それ以外は何だか意味不明の生活を送ってました。ひとつは、担任の先生の口車に乗せられてやらされた生徒会。よくわからないけど、一部の連中とつるんでやっていたテーブルトーク。さらいに理解不能だけれど、彼女ができてヒマさえあればいちゃいちゃしていたこと。この三つに平行して受験勉強をしていたわけです。生徒会なんかはまさにマンガみたいな状況だったので、別の機会にマンガにでもしようかと思うぐらいです。特に校舎移転で、学内のルールが変わるので、すったもんだでした。おまけに会長は稀代の難病(といっても、ほっぺたにこぶができるだけで元気。しかもすぐ直った)で、抜けるし。
彼女に関しては何を血迷ってあの当時のあんな偏屈な僕と付き合っていたのか今となっては不思議なぐらいです。
あと、祖母がなくなったことと、受験間近に市内で引越しさせられて勉強を中断させられたことは今でも覚えています。

何だがドタバタしているうちに、大学受験。センター試験は受験するねーって言った友達は、誰も受験せず、すでに一人で受験。北大に受験にいって、会場で具合悪くなって離席してゲーして戻ってきて、もう終わりかぁと諦めたら、試験監督のおっさん(あとで教授と知る)が中に入れてくれて再開。納得いくまで試験ができて、良かったなと。
で、次に本命の北見工業大学の試験。倍率4倍で受験に言ったら、4人中1人は欠席。出席者の3人に2人は問題が始まるや否や諦めて寝ている。って、ことは、おきてまじめに問題を解けば受かるってことね。と、まじめにやる。

で、北大の合格発表をテレビで。気持ち色々な怨念でやってきた部分だけど、受かるとも思っていないので、テレビで友人の合格を見ようと、家族で発表を見ていたら、自分が受かっていて大騒ぎに。見ず知らずの人やら、友人知人からガンガン電話がかかってくる。
今思えばたいしたことじゃないのに、偉くたくさんの人が騒いでくれたよなぁと。
とうぜん、親類の手にヒラの返りっぷりは、冷ややかに見させていただいたことを覚えております。まぁ、このあとまた手のひら返るのですけど。

そんなこんなで、大学生というものになってしまいました。