のらの成り立ち~その12:第二転職期~

さて、ようやくこの「のらの成り立ち」が終わりを迎えそうです。

で、遠くのGSIさんを辞めさせていただいて、そんなにあてがあるわけでもなかったのですが、何となく、比較的近所にでっかめのビルがあって、そこの一番上の円柱状のサインに「テレビCM、インターネット」って書いてある会社があったので、その辺はキャリアも元々あるしってことで転職したい旨のメールを合院に送ってみました。
結局面接をして受かったのですが、実は、印刷屋さんだったんですね。普通に。それでも「ワンソース・マルチユース」なんてキーワードが流行っていたので、それなりにインターネットの仕事を取る努力をしていたようで、営業同行やら、企画提案の作成やらさせて頂きました。

驚くこと多数。あと、やはりそれなりに最先端を全力疾走してきたことを思い知らされたのも、この会社での衝撃でした。例えば、当時の僕らにとって常識だった「ビジネスモデル」なんて単語は全く理解されないわけです。営業に同行する、提案する、再度同行する、理解されない、意味不明の仕事になって降ってくる、という素敵なサイクルでした。
とはいえ、今までと比べれば、死ぬほど「ぬるーい」お仕事だったので、子どもと家内と一緒に過ごす時間は出来るし、そういうビジネス上の憂さは、ニッカの懸賞論文書いて入賞して旨いウィスキーをせしめたり、東京時代のつてで地域活性化の研究会に入ったりして晴らしていたわけです。

そんな生活の中で、一つの運命の出会いがありました。当時、前職のWebGISのお仕事で知り合った東海エリアの方々と、ビジネスマッチングの集いの@ビズ東海というのをしていまして、毎週末、名古屋に出て飲んだくれて楽しんでいたわけであります。そこに、たまたま、若き起業家(といっても私より年上ですが)時代の某氏が訪れておりまして、この方が「データベースに強い人おらん?」とその会合で言ったのです。
一応、データベースソフトはそこそこ心得があったので、ご紹介いただいたのですが、その後そのプロジェクトの会合に、休日や有給休暇で何度か伺っていたのですが、お酒をご一緒させていただいたあるとき、まさに、運命の一言を叩きつけて下さいました。
「ふなはしくん、会社通すのめんどいなぁ。独立せぇへん。独立は大変だけどいいよ。第一号のお客がうちでいいやん。成功させたら実績ってことにしてどんどん活躍してよ」
と。

実は、自分の中の色々なことがあって、結婚後というか第一子が生まれてから思うところがあって、近くで働ける場所を選んだというのもある一方で、その思うところがちゃんと実現できているかどうか納得できていなかったり、仕事も先に述べたように、自分の経験やスキルが生きるような状態に感じられていなかったんですよね。
さすがに、魅力的な選択肢が目の前に出てきたわけですが、今なら即答もんですけど、当時のシャイな僕には即答できず帰って、嫁と相談して独立することにしました。まさに、この瞬間が、のらSOHOになった瞬間ともいえます。

その後、印刷屋の社長には謎の説得を受けたり、開業届けを出したりしてSOHOに。そして某ビックプロジェクトに参加。子育てと仕事の両立!と思って突っ込んだら、職場は岡山を中心に社長と一緒に全国行脚。いきなり、のらSOHOとなってしまったのでした。
ということで、私が「のらSOHO」になるまでを全12回でお届けました。これからも気長にお付き合いくださいませ。