のらの成り立ち~その10:第二新卒期~

んで、その求人票の会社ってのを面白半分でネットで調べると、コンシュマー向けのインターネット専用STBというものを世界ではじめて開発したっていう内容で、その製品を売る仕事は面白そうだと。多分、メディアのあり方も大きく変わるんじゃないかと妄想が膨らみ、自分の教授に無理矢理推薦状を書かせて、その会社の面接に突入しました。
で、行ってみたら、その会社の主力の商品のための技術希望の人ばかり面接に来ていて、マーケ希望の人間は僕一人。で、試験は共通で面接は僕が一番バッターに。で、まぁ、いきなり社長面接でして、ネットとメディアの未来を語りに語ったら、社長と意気投合。半日ぐらい話し込んでいました。で、社長が「あ、僕これから台湾に行かなきゃいけないから後宜しく!」と、後ろの人の面接を放置して言っちゃう始末。思えば、僕の後ろで待っていた人は半日待っていたんだなと思うと可哀想ですな。
で、当然のごとく合格。行徳という駅の側の社宅に住んで通勤する生活。で、まぁ、当然のごとく配属は希望部署のマーケッティング部。ここから、怒涛のように働くわけです。なんたってネットメディアの未来を創らなければいけないわけです。コンテンツがとにかくないので、とにかく、平日は会社でネット用のサービスをひたすら作りまくる毎日。ネットを知っている人も少ないわけなので、休日は展示会やエクスポにブースを出すか、どこかで動画配信を運営しまくる日々。で、夜はエロ番組まで作らされるというすさまじさ(笑)。しかも職場は会社の隣のビルのワンフロアで、下にバイトが数名。出城を一人でまかされてやりたい放題でした。いまでも、当時のバイトさんとは付き合いやら取引があったりといい仕事仲間です。
でも、朝7:30に家を出てて、夜2:00にタクシーで帰るというむちゃくちゃな日々。当然休日なし。初ボーナスは現金で1万円支給。で、次の年のボーナスは一番多く貰ったといわれる僕の分で一ヶ月。僕としては金のために働くというより、夢のために働いているところがあって、今思うととっても充実していた職場でした。
ただ、体もう悲鳴を上げ始めて、余りのぼろぼろ度合いに25歳にして人間ドッグに会社持ちでいくという体験までしましたし、普通にテクノストレスなどと診断される始末。でも、適当に抜くところは抜いていて、時々、いろんなオフ会にでたり、平日日中にデートしたりとかのんびり暮らしている部分もあったりします。
そんな時に、今の飼い主様と出会ってしまいました。でも、飼い主様は西三河在住。私は東京。なので、遠距離恋愛でギリギリの生活に一変。毎週金曜日勤務が終わると走って新幹線こだまに乗って西三河通い。毎週末は交通費だけで2万円出費。おまけに電話代はうなぎのぼり(当時はネットの接続も電話でしたのでメールのやり取りでも高くついたのです)。当時の日記が実はネット上に撲滅しないで残っているのですが、今読むと超赤面です。
交通費+通信費+酒代でほぼ全収入(売り上げ)を使い切るという、会計構造としては今ののらと同じような状態が、このとき完成しました(^^;
でまぁ、この悲惨さに見かねたのか、結婚していただくことになったのですけど、条件は西三河に住むこと。その会社の名古屋支店は閉めたばかり。よって転職を余儀なくされるのであります。勤めている会社の人々には感謝されるは驚かれるはで、つつがなく寿退社をさせていただくことになりました。
こうして、のら人生へのカウントダウンスイッチをしらぬまに押してしまったわけであります。