仕事という言葉
実は、仕事と言う言葉はちょっと前までものすごく嫌いだったりする。文字通りいけば、「つかえごと」ということで、誰かの下で使われることとなって、SOHOで自己責任で仕事をしているものとしては、基本的にやっている活動は、どれ一個取っても「つかえごと」ではないはずだ。
もっと言うと、仕事をするという事と労働するという事が日本ではイコールになっているというのも結構気に入らなかったりする。仕事のネタを作り出す、トップマネージメント層は現実問題として、誰かにつかえている訳では無いので、彼らは「つかえごと=仕事=労働」をしていないと言うことで、楽してもうけていて、下々の人々は「つかえごと=仕事=労働」をしていて、とっても大変で貧しい。というある種の決め付けが感じられて、とっても嫌だったりする。「つかえない」ってことは、それはそれで、ものすごく大変なのだ。
なので、独立して2~3年は、「仕事」という表現は可能な限り使わないようにしていた。ビジネスとか事業とか商売とか。最近は、ちょっと考えが変わってきて、あんまりこだわらなくなってきた。事業にせよ商売にせよビジネスにせよ、それを必要としてくれて、それを行なうと「ありがとう」ということでお金をくれる「お客」あってのものでしかないからだ。
結局は「お客」というものに仕えているんだから、これらも、広い意味で「つかえごと」なんだろうなぁと。結局の所、純粋な一人よがりじゃ、本当に何にもできない。現実に、上司の代わりにお客に仕えているだけ。そんなに大きく何かが変わっているわけじゃないようだ。より自分の行為が社会に対してストレートに伝わっていることが分かるだけ、風通しが良くて幸せなだけだ。
まぁ、吹雪や強風の時はちょっと痛いけど。