学ぶべき共通語は

最近、何が何でも英会話って風潮が周りで強い。で、学校教育じゃ英語しゃべれないし、教室通わせなきゃねってのも良く聞く。あと、算数やら数学なんか大人になってからモノの役には立たないという声も聞く。なので、総体として、学校の勉強は役立たずという風潮になって、学校に対して斜に構える人が続々と増えてくるわけだ。

こういう声を聞くと、軽薄に英会話を駆使して海外旅行をする人々と比べて、明治時代の元勲どもは、役に立たない無能っぷりだったわけだ。と、反論したくなる。海外の知識を持った明治の元勲は多いけど、外国語をしゃべれないやからは少なくなかった。でも、海外の事情は彼らのほうが精通していただろうし、もっと言えば外国人の尊敬をちゃんと集めていた。
英語を使いこないして軽薄に旅行する連中は、買い物は出来ても、外国人から尊敬を集めることは出来ない訳だ。尊敬は買うものじゃなくて、軽蔑は買えるってのもあるんだろうけど。

で、明治時代のヘボン門下の人々が、ヘボンを驚かせたのは、彼らの物理学や数学などの科学的知識が豊富だったことに他ならない。彼らの間の共通言語は、英語ではなく、数学などの科学知識を伝達するための形式言語であったのだ。
裏を返せば、英語が出来るよりも重要なのは数学などの論理的な形式言語をどれだけ使いこなせるかに他ならない。

実際に、外国人のプレゼンテーションなどを見ても、ほとんどムービーで英語等の外国語不要で理解できるものばかり。要は重要なことというのは、ほとんど、決まった文脈やら形式で伝えられるということだ。

すると、海外で活躍する上で最も重要な言語は、何かというと、英語なんぞはどうでも良いということになる。少なくとも英会話に固執する必要はない。筆談が出来ればよい。
実は、全世界共通の言語は論理という形式言語だ。これさえあれば、実際に世界中どこに行っても通用する。
母国語の発音や最も基本的な発想法はもうどうしようもない。が、論理だけは年を食ってからも学習で身につくし、これをもって辞書でも引き引き筆談すれば、十分ビジネスはやっていける。

学校の勉強は役に立つ。受験勉強に学校側が無意味に迎合して暗記に走らなければ、である。そのとき最も重要な「論理」を学べる教科が数学であり算数なのだ。これを軽視する大人は、自らがビジネス社会で負け組入りを宣言しているようなものだ。
習い事などいらない。受験もいらない。まずはまじめに論理を身につけさせるように学校側と協力して、きちんとした数学の授業を行わせるべきだ。これこそが、子供たちが学ぶべき世界共通言語なのだから。