昔思ったこと:受験生と受験生の保護者の皆さんへ

なんでも、うちの県下の高校の受験日だそうで。というか、気がつけば、自分が受験生やっていた頃に戻るよりも、子供が受験生になるまでの年数が少ない年になってました。実際に、15の春は泣きましたんで、なお、みんな希望のところに受かってほしいなぁと思う反面、あの時泣いたから今があるんだよなぁという思いもあるので、世の中いいようになるんだろうなと思うわけです。
とはいえ、その結果がどっちに転ぶにせよ、こういう心根は持っていてほしいなと、今読み返しても思うので、再録してみます。

元はここから。12年ぐらい前に書いた奴だな。干支一周してるほど古い(^^;
http://www.fsinet.or.jp/~mfuna/syakai/hihyo13.htm

---

受験生と受験生の保護者の皆さんへ

別に合格の秘訣とかそういうメリットのある話ではありません。
ただ、受験に泣いたことも笑ったこともある人間としては、いつもこの時期になると言わずにはいられないのです。

「受験なんて受かっても落ちてもたいした変わらんよ」 って。

「気楽にやろう」って。

受験生も、その保護者も受験を深刻に考えすぎ。
落ちたってどうにでもなる。人生なんて。
Fはどうにかなった。
べつに、高校受験落ちたって一流大学に入れるし、いい高校いったからって一流大学に行けるわけでないし。一流大学に入ったからって、一流企業に入れるわけでない。また高卒、中卒だからっていい仕事ができないわけじゃないし。
現に俺の友達は、中卒、高卒の人の方が、大学院卒のFなんかよりよっぽどいい仕事していい給料もらってる。

だから、まず、保護者の皆さん。
受かることを前提にしないでください。
落ちても のんびり支えるんだという心を持ってください。その懐が、その子をその後の環境で伸びるために必要になります。

つぎに、受験生の皆さん。
大きなお世話かもしれない。
でも、なんでその学校を受けて何をしたいのかを、受験が終わったら、結果の本意不本意関わらず、真剣に考えてもらいたい。
そして、一つだけ、理解してもらいたい。こんな紙切れでは、君たち自身の能力の断片すら 測定されてないってことを。
だから、できなかったからって、卑下してはいけない。
だから、できたからって、奢ってはいけない。


何を奇麗事を。
そう思うかも知れない。
でも、そんな事はない。
一流企業だって潰れる。
公務員だって首を切られる。
安定した収入なんてどこにも無い。
さらに、これから大事なのは「どこで」学んだかではない。
「何を」学んだかだ。
だから、東大で学ぼうが、その辺の3流私大で学ぼうが、本質的にちゃんと学んで身につけていれば同じなのだ。
そして、その「何」がどれだけ磨かれているかなのだ。

ようは生きていく上で、どの大学出だとか、ましてやどの高校出、どの中学出なんて何の関係も無い。

でも、学ぶべき「何」を、見つけるのには心のゆとりが必要だ。
それは本人だけじゃない。
むしろ、保護者こそが、自分の被保護者を 他人と比べて一喜一憂しないゆとりを持つことだ。
そして、常識にとらわれず、その子の能力を見つけたらおしげなく投資する勇気が必要だ。

そうして、「何」を伸ばしてやることが大切だ。
くどいようだが「何」を伸ばすのは場所じゃない。
どこにいても、その「何」は伸ばせるのだ。

じゃぁ。受験生の皆さん頑張って。
受験自体に価値が無くても、何かに頑張るってことには価値がありますから。
そして、受験が終わったら考えて。

保護者の皆さん。受験なんて笑い飛ばしましょう。
そんなんで、人間の価値なんて何にも決まりませんから。
受かっても気にせず、落ちても、しらっとした顔で
「あら、落ちたの」
って気楽にしましょう。合格であっても不合格であっても、親類縁者、どんな第三者が何いおうが、言うことを変えない不動の姿勢でいましょう。
所詮、受かったら自慢の種にして、落ちたら馬鹿にする種にする程度の無責任な連中ですから。その子についた看板でころころ手のひら返すような人間はその子に必要はありません。

受験が終わってから、それからが本当の勝負です。
受験生の皆さん。保護者の皆さん。
本当の勝負で負けないように、ちゃんと余力を残して頑張ってください。

それでは。
「なんとかなるよ。気楽にね」