敗軍の兵、将を語る/産学連携の大志、台無し

あらら、敗軍になってしまいました。

日経ビジネス2月22日号の「敗軍の将、兵を語る/産学連携の大志、出直し」。いまさら読んだのですが、なんと、敗軍と言い切られていました。敗軍と名指しされた北海道大学のプロジェクトに力いっぱい携っていましたので、なんとも、許しがたい気分です。実際のところ関わった私も敗軍だと思っています。なので、敗軍といわれたことを怒る気はないのですが、怒れるのはその内容です。
以下は、本文をお買い求め、もしくは図書館等でご確認の上、お読みください。

怒れる一点目として、この弁者である北大の現副学長は、本プロジェクトに関して言えば、そもそも敗軍の将ですらないことです。なので、本プロジェクトが敗軍になった責任は彼にはありません。と同時に、したり顔であのような発言をすることも適切ではありません。
本プロジェクトが頓挫したとほぼ確定的になったのは、前任の副学長のとき。もともと本事業のアウトプットとして予定していた、本プロジェクトの構想をしっかりと書いた書籍である「「創成科学」による21世紀テクノリージョンへの提言―北海道大学リサーチ&ビジネスパーク構想」の出版と、本文でSEEDS企業体と呼ばれていた連携支援の自立的受け皿組織としてのNPO法人の設立の二点を、トップマネジメントの連中が拒絶した時点で確定しております。
いわば、本プロジェクトの出師の表ともいえる書籍を捨て、軍の編成である組織体を捨て、戦になんかなる訳ないんです。どう考えたって、兵として、民間からかき集められた側としては呆然です。経費と時間をかけて準備を重ねて、いざ出陣、となったら、突然、総大将が「解散!」と宣言したのですから。まさに、負けた瞬間です。
なので、この拒絶の経緯と原因こそが、真の敗因かと。

実際の敗因はさておいても本文だけも納得いかないこともあります。現副学長のいいぐさでは、まるで私たち民間スタッフが大学を理解せず、一方的にことを進めて、プロジェクトを頓挫させたような書きよう。
しかし、現場の実態はかなり異なっていました。多くの民間スタッフは、教員と様々な事業を形にするために、相互に協力的に手を取り合って色々な事業体を生み出してきました。
本プロジェクトを始める以前も、またそれ以降においても、大きく目立つ事業ばかりではありませんが、たとえば、大学発ベンチャーである株式会社としてジェネティックラボやGEL-DESIGNを生み出したり、また他方では特定非営利活動法人のHASTICや北海道こんぶ研究会を設立させるなどをしてきました。また、スポンジシート状の石鹸のユキハナだったり、電動ジンギスカンなべだったり、こんぶの陸上養殖などの新組織を設立しない事業ベースの連携もあります。一つ一つの地域のニーズとシーズを丁寧に、大学の先生方の事情と地域の諸事情を酌みながら、私たちのような民間スタッフがつないで共同研究や受託研究などをつみかさねて、R&BPの実を積み重ねてきました。
また、近年のグーグルなどに見られる創発型の経営というものにある程度精通している若手の民間スタッフも少なくありませんでしたので、「9時に出社しろ」などという愚劣な発言をする現場の民間スタッフはいませんでした。私たちもかなり自由にフレックスで働かせていただいていました(というか、9時出社義務みたいな下らない職場で、こんなのらみたいなのが働けるわけないでしょうが)。ですから、大学の文化を理解していない、理解する努力をしない民間スタッフはおそらく一部の人間でしょう。というか、実際に一部にそういうのはいましたけどね。敗因の一因を作ったであろう、紙切れ教団(特許派)信者と大企業病重症患者のような輩だとは思います。

加えて納得いかない点は、現副学長の書きようでは、地域や周辺はまったくこれに対して、協力してこなかったと言うことのようですが、これも実態は異なります。公設試(道立工業試験場)は、当時、出向という形で、本プロジェクトに対して技術にも地域事情にも精通していて働き盛りである年齢の優秀な職員から優先的に出していただいていましたし、隣のノーステック財団の中のインキュベーションセンターに北海道大学の知財をもとにして生まれたベンチャーを入居させているなど、地域の様々な組織から多数の協力を得ています。こうした点を抜きにして、一方的に「協力が得られなかった」と書くのは失礼にもほどがあるでしょう。各位の名誉のため、彼には、ぜひとも訂正なり謝罪いただきたいところです。こういうところは確かに大学の文化が民間から見て、おかしいと思えるところかもしれません。


ちなみに、私の個人的所感ですが、なぜ、このプロジェクトが頓挫して敗軍となってしまったのかといえば、理由は簡単です。本プロジェクトのトップマネジメントの判断力と決断力の欠如です。今述べたように、なんら文化の相違や地域の協力の不足はその頓挫の原因にはなっていません。もっといえば、地域のことも文化のことも理解しようとしない一部の民間出身の特許馬鹿と大企業病のスタッフに無用に大きな権限を与えて、柔軟な経営を行わなかったトップマネジメントのしくじりとしか言いようはないでしょう。

たとえば、大学の産学連携において、特許利用収入というのは話題にはなりますが、実際、大学からの売り上げ構成比で見た場合、どの大学においてもその比率はほんのわずかです。一時期、大きな利用料収入が入る特許の例として青色ダイオードで名古屋大学が話題になりましたが、それでも、年で4~5億円程度でした。実際、大学全体の年間総予算が800億円程度(2006年公開決算書ベース)で、交付金以外の収入を売り上げとした場合でも、せいぜい400億円程度。それから考えるに、いちばん特許収入でいちばん儲かるものでも5億円程度であれば、それ以外はそれ以下の金額な訳です。それの総和でそれをすべてまかなうというのは現実的ではありません。実際に2006年の段階で北海道大学の特許料収入は僅か2000万円(それでも全国4位)です。
ほとんどの売り上げを特許利用料以外の病院収入、共同研究、受託研究でまかなっており、またそこに地域のニーズもあり、それを丁寧に形にしていくことが重要であるというのが、現場の民間スタッフの認識だったと思います。その結果、運良く出てきた特許は長期的に役立てましょうということでしかなかったように思います。これは、まともに数字と地域ニーズを見て判断すればそうなるものでしかありません。
にもかかわらず、上層部にいた大企業から来た天下り的のスタッフなどを中心としたトップの判断で、そのような本来の地域ニーズでもなく経営的なメリットもない特許化をするスタッフばかりを増員しました。地域のニーズや実際に地域産学連携に協力してくれる教員の想いを無視をする形で、多くの共同研究を頓挫させるような事態を頻発させました。特許の書類のために地域があるわけでも、研究があるわけでもありません。にもかかわらず、無用のトップからの特許化圧力ばかり騒ぎ立て、現場が嫌気をさしたことは再三ありました。また、教員から選出されているこのプロジェクトのトップの一部も、まるでこのセクションの言うことが民間スタッフの考えのすべてという誤解を持っていたようです。その勘違いがこのような文章を生んだようにも類推します。

でもですね、連携の現場の民間スタッフはそんな愚かな発想は持っていませんでした。そういう誤解と不審が上層部の中で広まっていることは、当時の現場うすうす感じてはおりましたが、いつかはそういう連中はちゃんとトップマネジメントの場面から即座に退場いただけるだろうと信じておりました。ですので、現場では私たち民間スタッフを中心に、教職員や地域の型と協力し合いながら、先の私たちを軍になぞらえるなら戦の大義名分をかいた書である書籍の作成、文科省から求められたアウトプットであるSEEDS企業体の法人形態から理念の原案、ビジネスモデルまで着々と積み上げ、トップのゴーサインを待つところまで持ってきていました。

それが、私どもの任期最終年度の2007年度末のマネージャー級以上の会議の席で、突然、既に印刷が完了し出版直前までこぎつけた本プロジェクトの構想を書いた書籍の出版の中止を決め、SEEDS企業体としてNPO法人でいくことを決めていて、内容までしっかり決め込まれたものを申請するだけにしていたにもかかわらず、これまた中止を決め、本プロジェクトの責任者であった前任の副学長は任期切れで退任というとんでもない事態になりました。この時点で、本プロジェクトは正しく敗戦になっていたといえるでしょう。
書籍に関しては、責任者を含め各位に調整や内容確認をきちんと行ったうえでISBNまで表紙に刷り込んで製本完了済みだというのに、そんな決断をしてしまったことには、あいた口がふさがりませんでした。

まさに、判断力も決断力も欠けているとしか言いようのないことです。なりよりの証拠に、結末はC判定でしたが、2006年の段階での中間評価ではA判定だったわけです。やってみての失敗であれば、私たちのように非正規で民間から引っ張ってこられた多くのスタッフも納得いくでしょうが、やりもせずにトップの人々が単に事態を投げ出して終わってしまったので、現場としては、あきれてものも言えません。
にもかかわらず、先の寄稿で、あそこまで、ことを台無しにしたトップマネージメント側の人間に書かれる覚えはないというのが、正直な私の想いです。それにしても、なぜトップがあそこまで無謀な形でプロジェクトを投げ出したのか、現場にはまったく理解できません。また、当時のトップマネジメント側の人々からも適切な説明を受けた記憶もありません。トップマネジメントに携った人々とこれから携る人々に、このことに対する的確な反省がない限り、現副学長は本文中で立て直すとかほざいてますけど、本プロジェクトの建て直しはおそらく有り得ないでしょう。

余談ですが、出版中止になった書籍は現在AMAZON等のオンラインショップで普通に購入できるようです。これもいったいどういう経緯で販売できるようなったのか知りたいところでもあります。
ちなみに、うちに本書籍は山積みです若干数ございますので、ご関心のある方はコメント欄等でお声掛けいただければ、無償で提供します。あ、送料はご負担くださいね。


本当は、正々堂々投書しようと思ったんですけど、なんか読んだのが遅すぎたので、いまさらなぁと言うことで、BLOGにちょっと書き残しておく程度にします。

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やっぱり、諸兄のアドバイスもあったので、問い合わせフォームから投書しました。どうなることやら(2010年3月1日追記)

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とりあえず、読売で記事になっていたことも確認。以下の大阪の読売のサイトで全文掲載があったのでリンク
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/society/20091224-OYO8T00830.htm

あと、これらの大本の報告書も以下に。ちゅうか、この時点でかなりダメな分析。あらゆる事業の準備に奔走した人間としては、結局「指揮権を持っている人が未知のことを決める勇気がなかった」、というだけのことじゃないのかと思う。なんか「退任間際の校長先生論理」に似ていたのかもしれない。それにしても、まっとう各種の準備に奔走をした2007年の時点で去った人々へちゃんとヒヤリングしていないで、こういう結論を導いている本報告書は不適切。だって文化の調整も含めほとんどこの報告書で言うところの対立の構図は、現場の作業ではどの対立でもきちんとクリアしていたんだから。少なくとも僕にはヒヤリングは来なかった。

「北大リサーチ&ビジネスパーク構想」総括報告書について
http://mm.general.hokudai.ac.jp/information/548.html
(2010年3月2日追記)