日本の知財はどこへ行く

仕分けたたきのコラムの続きです。変な話、仕分け自体を否定したことを言っているのに、その内容を四の五の書くのも変な話なのですが。
仕分けの時もそうですし、麻生補正つぶしのときもそうなのですが、徹底的に知財というものを潰すことしか考えていない取り崩し振りです。国を成り立たせるものとして、一般に食料、エネルギー、軍事、そして近代国家以降であれば国家独自の知というのが、必要不可欠とされます。日本はすでに、始め三つは自給を捨て、他者依存を決定しているわけです。唯一の独立国家としての矜持になるであろう、知をどうするのかというのは、非常に重要な話なわけです。

ところが、これまた恐ろしいのは、日本の知財を今後生み出さないという方向性の恐ろしい仕分けセンスです。特に知の根源ともいえる研究というものについて、積極的に削減しようというのだから驚きです。とにかく、大学以上の教育と研究からお金を削る姿勢です。
高校の無料化はいいとしても、大学にいく一部の家庭のメリットにしかならないから大学という間口へのカネを出すことが許せないとでも言うのでしょうか。若手研究者の助成金は減らされ、先端科学技術への投資も削られています。国家が知財を増やし、人材を育成することで国が富むという発想はないんでしょうか。その富んだ国の中であればこそ、学歴があろうがなかろうがより幸せになれる社会が出来るとは考えないのでしょうか。

そんな発想で、今の政権に票を投じた人々だとは思いたくはありませんが、なんだかそういう気がしています。あくまで、公益の主幹は「みんなの構成員の俺が幸せになるためにカネをまけ」ではなく、「各構成員がみんなのためにお金と労力を出して全体の幸せの底上げをする」ということにあるはずです。
文部科学省管轄において、高校無料化はOKだけど、研究費用はそのためにつぶれてもいい、という政策判断は、国の根幹を誤る愚かなことだというのは、もっと声を大にして言うべきです。むしろ、大学院まで無料化にして研究費こそ潤沢につけるべきです。そして、それこそ、それ以外の別省庁の管轄枠からその予算をひねり出してこそ価値のある改革です。
官僚を批判し、省庁の縦割りを批判する割りに、省庁間の予算バランスや省庁内の予算の削減率ばかりでものを見るのはいただけないものがあります。

それにしても、このまま「研究をしない国家」という、知財の未来のない国を作り出してこの政権は日本をどうしたいのでしょうか。