科学技術コミュニケ―ターは必要か?
某H大でこの事業をやっているのは元の親分みたいな人だし、これに弓を引くような、なんか自己否定的なタイトルなのだが、「科学技術コミュニケ―ター」という資格なりそういう要員なりを改めて国の予算で作る必要があるかどうかという話。
基本的に、今の日本人全般において、科学技術リテラシーは低いし、日本で研究している人々もその低いリテラシーの人のところまで降りて説明する余裕はないのは確かである。よって、そこで何らかの対策が必要だというのは筋として分かる。
そこで、科学技術に関しての媒介者というか介在者としての人材が必要だという議論になる。で、第三期科学技術基本計画には、「科学技術コミュニケ―ターの養成」ってのが謳われている。でも、ちょっと待たれいとか思うんだな。
今まで、日本に「科学技術に関しての媒介者」としての資格や職業や施設って本当になかったっけ?
「ない」と思っているあなたは不正解。
あからさまに存在している。それが学芸員であり博物館。おまけにいえば、小中高の理科教諭もそのための人材ですし、学校内の理科室もそのための場所のはず。
確かにこれがちゃんと機能していないという問題は間違えなく存在している。でも、だからといって、改めて予算を作って、その人材を養成するというのはお門違いではないか。まさに2重にお金を投下しているのだから、予算の無駄遣いに他ならない。
学芸員や理科教諭がその任に堪えないというのであれば、それは、学芸員や理科教諭の資格を与える基準を作り変えるべきだし、過去の有資格者に対して、追加で科学技術コミュニケ―ターという単位が必要とされるだけのことだろう。それは、科学技術コミュニケ―ターというカリキュラムの開発に過ぎず、改めてその有資格者を養成し、新たな雇用を税金で生み出すというのは、予算の無駄遣いで言語道断である。
たしかに、博物館を物見遊山の場所としか捉えていなくて、珍しいものを眺めて終わりの場所として捕らえたり、理科は受験の点数のために学ぶ風潮を作った大人たちが最大の問題なのだろう。だからといって、本来の業務をおろそかにし、別の人間を用意して良いという話にはならない。旭山動物園のようにアイディアひとつで、きちんと社会教育の場として復活する例もある。
本業で既に雇っているのだから、一般の人や研究者は彼らを使い倒す。そして、彼らはそういうニーズにこたえられる工夫をちゃんと繰り返す。そして、その工夫の指針として科学技術コミュニケート技法のカリキュラム。これらが必要なだけであり、意味もなく横文字の新しい資格を創出する事には何の必要性もない。国民も大学人も事の軽重を見誤ってはいけない。