蛍雪
蛍の光、窓の雪-
昔の人の学問に対する飽くなき憧れと、それに向かう態度を表す言葉だ。そこには、金持ちだから学問にアプローチが出来て、貧乏人だからアプローチできない、ということを否定する力強いメッセージもある。夜、貧乏な奴が明かりがなくても勉強しようと、蛍の光や雪の照り返りのわずかな明るさで、一生懸命、学業をしたというお話である。
いや、何が言いたいかというと、最近とみによくメディア等で目にし、近所づきあいの中で耳にするのが、「格差社会のせいで、貧乏人の子供は勉強する機会がなくなってバカになる」
というお話だ。はっきり言ってしまえば「こういうことを言う、あんたが既にバカ」ということだ。
この手の主張の内容をきちんと整理してみてみると、それがハッキリする。
この手の主張のその1「金がないから参考書が買えない。だからバカになる。」
図書館にいけ。そのために国家が整備している。あと、学校の教務の先生に言えば、参考書会社の営業マンが置いていったサンプルがうずたかく積んであるものだ。これは非進学校であればあるほど余っている(笑)。こいつをもらっても良し。金がなくても参考書はごまんと手に入る。
この手の主張のその2「金がないから塾に行かせてあげられない。だからバカになる」
そもそも、そんなものにいく必要はない。放課後&授業中先生に分からんところを聞け。そのために国家が雇用しているんだ。塾のテキストなんか無用。Z~とか塾の教科書になるような参考書も、学校には揃ってる。
この手の主張のその3「金がないから、私立のいい高校やいい中学に入れてあげれない。だからバカになる」
どこにいってもバカはバカ。いい高校もいい中学もない。本人がそこでどれだけやるかだけが重要。3流中学から1流の高校いける努力家もいれば、1流の高校で3流の大学も受からん奴もいる。どこにいれてもたいした意味はない。
この手の主張のその4「金がないから、大学に入れさせてあげれない。だからバカになる」
各種の奨学金が山のようにあります。以上。そもそも、高等教育の終わった子供の学費は基本的にてめぇで確保させてください。
このように、金がなくても、蛍雪の時代よりは遥かに良い環境下で学問ができるということだ。そうすると、昨今の学力低下とか学力格差の原因は、所得が低いこととは無縁としか言いようがない。
で、何が最大の問題かというと、「親がモノを知らない&そのことを棚上げして他人のせいにしたい」ということに尽きる。
特に「モノを学ぶということ」がどういうことか分かっていれば、お金で解決しなくても、それなりに済むものは山のようにあるし、今まで人類の知恵で金がなくても学べる環境を作るというシステムも揃っていることがよく分かるはずだ。
もっと言えば、そもそも、学問は点数をつけて良い大学に行くためにあるものではないし、金にあかせて点数を取るためのどうでも良い学力なんかつけて世の中に出ても「いいメイワク」でしかない。学問をそういうふうに捉えていれば、確かに金がある奴が有利に見えるのかもしれない。でも、知の本質はそんなことではない。
自分の子供が出来ないことを「格差社会」のせいにいして、勝手に不安がっていたら、そりゃ、子供だって勉強しなくなります。親が格差のことなど気にせずに、心を落ち着けて、本を読み、考え、議論する、ということしてください。一日、数分づつでも結構。自然と子供は蛍雪の価値を知って、自らこのシステムの中での最善の手段を探して学ぶはずです。