寝ぼけたこと言ってるんじゃねぇっての
毎度ノーベル賞報道を聞くたびに、ツッコミを入れたくなる。
前回の田中耕一さんの時には、ノーベル賞取っちゃうような人に学士しかあげてない間抜けな文科行政をしている文科大臣が無邪気に喜ぶ間抜けさに突っ込みを入れてた。
ノーベル賞をとった人の活躍は尊敬するし、そこを茶化す気は毛頭ない。ましてや今回は、自分も末端の末端のごみくず程度とはいえ生物発光に関わったので、非常にうれしい限りだ。皆様おめでとうございます。国家の誇りです。
で、何に突っ込みを入れたいのかというと、なぜノーベル賞受賞者に成るような多くの研究者が国外流出するか、ということをメディアがコメントしているということだ。
大体だなぁ、現代の科学の最も大きなスポンサーは国家という現実を踏まえれば、日本国というスポンサーが適切に優秀な科学者を遇しているかということにしか帰着しないんじゃないのかねぇ。で、日本国ってのが民主主義であることを踏まえると、適切に遇さないのは国家の意思決定権者である国民でしょうが。大体勉強は訳にたたねぇってふざけたことを言い放って、子供らに勉強させたがらない風潮を作ってる大人(=有権者)をあおってきたのはどこのどいつだっけ。国民全体の中に学術を重んじる風潮があれば票離れに成りかねない、今みたいな間抜けな文部科学行政にはならんでしょうが。
適切に学術を尊敬する風潮があって、そういう政治家を選択すれば、日本国は適切に科学者遇するのだから、自然とそういう優秀な研究者は日本に残るでしょうが。
「そんな金つける前にとりあえず俺に金よこせ」的な瑣末な議論に終始するような政治家しか選択しかできない様な有権者を作ったり、そういう判断基準にしかならないような情報を流すことからメディアが反省しなさい。今、科学のスポンサーはどうあがいたって国家という現実は変わらん。それをよく直視しなさい。
ということで。科学の内容なんか多少わからんくても、そういう尊敬の気持ちがあることが大事なんじゃないのかねぇ。