ぶっ潰すのは偏差値教育より前に偏差値信仰じゃないのかね。
某脳科学者の予備校と偏差値教育はぶっつぶれろというツイートが僕のタイムライン界隈ではわりと賑やかになっています。関連エントリーで一番好感があるのは、やはりネット上で知り合ってわりと意気投合しているZ会の寺西さんの建設的批判には、「存在を認める」ことが欠かせないです。ただ、これはこれで読んでもらうとして、僕の所感を残そうかなと。
実は偏差値レッテルで数年間は苦しんだ経験がある(のらの成り立ちあたりをお読みください)ので、偏差値とそれを元に飯の種を構築している受験産業にいい思いはそれほどなかったりします。なので、ある面で、某脳科学者のツイートには共感すら覚える側面はあります。実際にRTしましたしね。
ただ、寺西さんが述べているように偏差値そのものが悪なのではなく、偏差値にまとわりついている、周囲や社会のさまざまな思い込みが悪なわけです。やっぱり低偏差値校に行くと、その人の人物を見て理解してもらう前に、偏差値が低いという理由で多くの人が全人格を見下すという現実はあるわけです。当然、そうやって扱われて生きていくと、自然、本来の才能は他のところにあったとしても、その才能の開花すらつぶすことも少なくないはずです。
日本社会に過剰に浸透した偏差値信仰こそがぶっ潰されるべき悪であって、なので、偏差値そのものが悪ではないのは僕も認めるところです。もっといえば、受験「産業」というくらいですから営利企業の集合体なのであって、その偏差値信仰下で売れる商売をするのは当然のことです。某脳科学者さんがでているTV局だってスポンサーが指標にしたがる視聴率なんてくだらない指標で番組を現実に測っているわけです。
だからこそ、最もくだらない敵は、その思い込みであって、その思い込みを打破する素敵な研究をしているのが某脳科学者様なんじゃないんですかねぇ。
ただ、僕は偏差値信仰をぶっ潰す手段として、一度、偏差値が不要になる大学入学制度を導入するのはわりと賛成です。ベストは入試と所属大学という概念のない全単位制。ベターは入試無しの全入。単位取得から温情やらナンやらという不透明なものをなくしてしまえばそれでよい、と思いますけどね。
とはいえ、こんなエリート某脳科学者様が偏差値ぶっつせとか言っても、多分、低偏差値下で苦しむ子供らからは「おめーみてーな偏差値エリートがなにいってんだよー」って思われるだけで共感はあんまり得られないでしょうけど。