それって楽しいですか?
某BLOGで、ミッションの中身を伝えるのにどうするか、ということについてちょこっとコメントして、ふと思ったことがある。そのコメント自体は「中身を伝えることも大切だけど、楽しそうにやっている様を見せること自体が大事」的な内容だったりする。
まぁ、僕の仕事事態はある種の翻訳業みたいなもので、中身を分かりやすく伝えることが大半なのだけれど、中身そのものを伝えても、肝心な何かがいつも伝わらないなぁと思うわけだ。特に、文章だの映像だのとパッケージ化してしまうとなお伝わらないわけだ。
編集さんなりクライアントさんなりがOKをくれるし、読者から感想が届いたりもするのだから、分かりやすくは書けているんだろう。けど、なんかしっくりこないわけだ。
多分一番大事なのは当事者の、わくわく感というか、楽しんでいる感じというもので、こればっかりは当事者じゃないと分からんところがある。メディアのジレンマみたいなもので、当事者になっちゃうと伝えるべき第三者の気持ちが分からなくて、上手く伝えれない、というもの。でも、これは、見事にパブリックアクセスといわれる試みが打ち砕いてきた。当事者が自分で映像を作ってしまえばいいし、それでも伝わるものは伝わるということ。
とすると、必要なのは当事者がどれだけわくわく感を持って事に当たっているかどうかが大事ということになる。
ということを考えながら思ったのが、なんでがちがちのメディア上がりの僕がこんなことを思うんだろうってことだ。最近は、面白そうにやっている人を捕まえてきて、飾らない感じで、その本人をただ楽しませればいいとか思っている。これを見れば、伝わる人には伝わるだろうし、伝わらない人には伝わらないんだろうなと。
なんだかある種の職務放棄チックなんだけど、本当にそう思うわけで。
大学4年生のときの研究発表のときに、かなりちゃんと発表できて受け答えも完璧だった(実は熱があって本人はあまりよく覚えていない)。研究内容だって結構いい線いっていたと思う。このときに、某講師の方が、一つだけ質問をした。
「発表は良く分かったし、いい研究だと思うけど、君はこれをやって楽しかった?」
なんか、この質問に、上手く回答できなかったことを覚えている。
確かに研究そのものは、結構楽しんでやっていた。その研究テーマに行き着くまでに若干紆余曲折があったので、気持ち的に心底楽しめていたかどうかは分からないけれど、結構、研究そのものは楽しんでやった。
が、僕の発表は多分、研究内容は伝わる内容だったけれど、その研究の楽しさは同期の誰よりも伝わらない内容だったんだろうなと思う。なので、そんな質問が来たんだろうなぁと。
多分、あのときの僕が下級生に研究内容を説明したら、内容は良く分かってくれるけど、きっと誰も後輩にはならなかったんじゃないかと。他の人の内容はわからなくても、その研究に関して後輩になってくれるんだろうなと。
「伝える」というのは、使い捨ての「伝える」ではなく、できれば次へ継承するために「伝える」であったほうが良いんだろうな。そう思うと、大事なのは内容を噛み砕くことでも、高尚な内容を論理的に隙なく伝えることでもなくて、「それって楽しいですか?」という問いに、全人格を持って「楽しい」と答えることができる人そのものを紹介することなんだな。きっと。