榎本武揚

この本自体は、書き物の参考資料に買い求めた。正直その書き物のためには、1μも役には立たなかった。

ただ、改めて読み返すと、実に実験的、野心的な歴史小説である。
榎本武揚と直接接する土方にあこがれた架空の人物を主人公にした自著とも他著ともつかない謎の架空の文献を手にした旅館の主人の目線で見たその文献のリライト版を手にした本編の著者の視点で書かれているのだ。こう書いた時点で、この文章を書いた自分でもわけの分からなくなる視点である。
ある意味、夢落ちよりも性質の悪い視点の話である。

が、夢落ちであれば、主観で主観を語って終わらせれるのだけれど、こういう他者と文献を介在させることによって、ある種の主観から客観への「もがき」を表現できているような気がする。そういう意味では、実に実験的視点の歴史小説なのである。だが、この手法は娯楽用の歴史小説に適していたのだろうかというと、残念ながら疑問符は残る。

個人的な意見としては、どのキャラクターに視点をあわせていいのか分からず、本に没頭できないのである。いわば、現実ではない、小説家が作った舞台に没頭させることが娯楽小説の役割だとすれば、その役割をみな捨て去るということに他ならない。
そこに残るのは、主観から離れたその小説に没頭する自分を、再発見して斜に構えて眺める自分を再発見するという行為でしかない。それは正直あまり気持ちのいいものではない。お祭りで「踊る阿呆」をあざ笑う「見る阿呆」になった気分である。

「そんなのかんけいない」と時代から逃げたかった時に書いた本に見えてきてしょうがない。そのツケが、今の社会のような気がする。有価値な書籍だけれど、そんな嫌な気分の読後感の本である。