量子革命

4月をはさんで、同じテーマの書籍が違う出版社から二冊。一冊は会社創業日で一冊は誕生日という実に奇遇な本です。
テーマとして科学革命といわれた19世紀末から20世紀初頭にかけての物理学の大変革を生んだ量子力学の萌芽から確立までを扱った、実にエキサイティングな人間模様を描き出しています。
違うのは、フォーカスしている人物。新潮社の「量子革命」はその副題の通り、アインシュタインとボーアを中心にフォーカスしており、青土社の「シュレーディンガーと量子革命」はそのタイトル通りシュレディンガーにフォーカスされています。

出張先の札幌での本屋で二冊とも見つけてしまい、荷物が重くなるのもいやだし、本を積読にするのもいやだしと色々葛藤しましたが、自分のインのときの専門そのまんまのテーマのこんな本が書店を飾るのもまずないだろうということで、思い切って買いました。

この本の読了した第一の感想は「この本を読みこなせるだけの素養と教養をつけるために惜しみなく色々なものを注ぎ込んでくれた親に感謝」というもの。たしかに、大学院の専門が、いわゆる量子力学の哲学なので、この本で出てくる論争やその議論になっている論点などは当たり前のように把握しているので、尋常じゃなく早く読めたのだと思う。でも、どちら(特に新潮社の「量子革命」)も、わりと解説は丁寧なので、たぶんちゃんと高校での理科の物理分野をしっかり修めていて、数学も最低限の微積分と行列と確率統計を修めていればノープロブレムのはず。何が言いたいのかというと、ちゃんとした教養を持っていれば読みこなせる本であって、たぶん、そういう教養こそ重要なんだろうなと痛感できる一冊でもあります。

実はそのあともう一つ出てきた感想があって、それは「たぶん、日本は今後、科学技術立国であり続けることは不可能だろうな」というものです。
それは第一の感想の延長です。この本、欧米では山ほど売れているんですよね。要はこの本を楽しいと思えるだけの、科学の教養と素養のある国民がたくさんいるということです。今後、どれぐらい売り上げが立つかによるとは思いますが、たぶんそこまで売れることはないだろうなと、勝手に悲観的な予想をしております。
大学は就職予備校化し、高校は大学受験予備校化し、中学校は高校受験予備校化し、という連鎖の中で、科学の素養なんざ育たんだろうということです。研究者になるにせよ、エンジニアになるにせよ、それらが生み出したユーザーになるにせよ、こういう科学の素養(個別の知識ではなく)は重要なわけです。そういうセンスというか素養を大事にしない、大人がうようよしている社会で、将来は実に悲観的な気分になれます。
ちなみに、先日、某ドラッカー読書会に出ましたが、科学革命を例にこの本で大活躍している科学者の名前が3人出ていました。たぶん、参加の各位は彼らが何をしたものかはよく分かってないんでしょうね。ドラッカーその人や、海外のドラッカー読者はそこはよく理解しているんでしょうね。そういうのが素養の差になってくるんだろうなと。

ぜひ、二冊がたくさん売れて、自分の第二の感想が杞憂になることを切に願っております。