水滸伝
自分の指揮で戦をやれば、敗戦についてだけ責務を負う。勝った手柄など、欲しい者が持っていけばいい。(10P.53、呼延灼)
はいはい、最近そんな気分になるお仕事ばかりです。というか、今までの人生、そうじゃないお仕事は少なかったように思います。
三国志に続いての、北方長編中国歴史もの。面白いか面白くないかと問われれば面白いんだけど、人物描写がそろそろネタが尽きてきたのかなという気もしなくはない。呂布や諸葛亮、楊業とやら間宮林蔵などなど、はっとする書かれ方の人物像は少なくなってきているように思う。それでも、その分、話はこなれてきていて別の面白さが出てきているようには思う。
どちらにしても、何かと戦っているときに、読んでいたくなる本ではある。今回も解説は抜きにして今の自分にとってハッとすることの抜書きだけ。
「人はな、林冲、二度や三度話しても駄目なことは、よくある。しかし、二年、三年付き合ってみれば、変えられる。俺は、そう思っている」(1P.45、魯智深)
「ひとりでなにができる、と嗤うだろう。しかし、なんであろうと最初はひとりなのだ」(1P.126、魯智深)
「自分が駄目だと思っている男の方が、駄目ではないと考えている者よりずっとましだ」(4P.301、宋江)
「こういう時は、天を信じよう。われらに恥じることはなにもない。むしろ誇るべきいくさをしているのだとな」(5P.92、宋江、放浪中追い詰められて)
「私は、世直しの志を持った。それが、男として生まれてきて、大事なものだということは、よくわかっている。しかし、男の人生には、ほかに宝もある」(5P.135、楊志、家族を前に)
「役人には、もっと大きな報酬を払うべきですよ、李富殿。役人になってよかった、思えるほどのものを。そして、不正には厳罰で対処する」(5P.359、許定、李富に)
以前は、死ぬことさえ許されないのかと、嘆いた。いまは、死ぬことだけは許されない。(7P.39、武松)
すべてを預けて、平然としていられる。これも、上に立つ者の資質だろう。(8P.235、呉用)
女ひとり救えなくて、なんの志か。なんの夢か。(9P.40、林冲)
「いがみ合っていい方向にむかうのなら、いくらいがみ合ってもいい」(9P.233、宋江、晁蓋に)
命など、ただ空しいだけだと思っても、打たれたり斬られたりすれば痛いし、腹も減れば、女を抱きたくなることもある。死ぬ時は、多分、苦しいのだろう。それが、命というものなのか。(10P.246、彭玘)
「おまえの歳なら、いろいろ考えるだろう。しかしな、はじめたことを、ひとつだけやれ。人に認められるまで、ほかのことに手を出すな」(15P.332、李雲、趙林に)
「人には、志というものがあると知ったのだ。それは、躰を流れる血ではなく、心を流れる血だとな」(16P.195、柴進)
「いい国を目指せ、公孫勝。梁山泊が、そうやって戦えば、宋もまたいい国になる」(16P.327、袁明)
「一度死ねないと、二度と死のうとは思わないものだな」(17P.323、公孫勝、林冲に)
「俺の馬鹿さ加減を、知っている人間がいて欲しい。生きている人間に、知っていて欲しい」(19P.40、馬麟)