榎本武揚未公開書簡集

今年こそ誠に快よく春をむかへ申し且つ又麦酒御惠投下され只今晩飯にたっぷり相用ひ誠にうきうきうきしたし申し候(中略)少々ドロンケンに付き乱筆御海容下さるべく候(P.69、明治5年1月2日武揚から姉へ)

酒飲みとして尊敬する榎本武揚氏の書簡を整理した一冊。色々歴史的価値があるんだろうけど、僕的には、獄中でこんな手紙を姉やら妻やらに出しつつ更にユーモアのある人柄に惹かれる。
ちなみに、オランダ留学の帰りに持ってきた酒は

赤ボルドー 50本入り......18箱/ドイツワイン、ホッホハイマー 50本入り......3箱/ドイツワイン、ルーデスハイマーベルグ 50本入り......3箱/シェリー 50本入り......1箱/ポート・ワイン 50本入り......1箱/各種良質ワイン 50本入り......2箱/シャンペン 30本入り......3箱/コニャック 30本入り......2箱/ジャマイカラム 30本入り......2箱/(医療用なので中略)/ビール ......750本/(食料なので中略)/ジュネーバー 24本 シャルトレーゼ・リキュール 3篭/胃用ジュネーバー 24本 ヴァニーア・リキュール 6篭/ビショブ 6本 オレンジ・キュラソー 6篭/リキュール 12篭 白クラザオ・リキュール 18篭/キルシュ 3本 ドント 6篭/アニゼット・リキュール 6篭 ハンガリー・リキュール 6篭/赤アニゼット・リキュール 6篭(P.17、開陽丸積み込みリストより)

とすさまじいものが。開陽丸は沈んじゃったんで、これが全部飲めていたかどうかは不明だけど。ちなみに獄中でも

「ジャガタライモ」にて焼酎を取り候事は尤も莫大の利潤これあり候ものに候間御取掛け成らるべく候(P.52、明治3年10月26日武揚から兄へ)

と、獄中から最新の科学技術知識を元に兄に進めた新産業で一番有望なものは酒だというところも素敵。でも、これやってたら今の焼酎市場はずいぶん変わっていたような気もする。新政府の閣僚になってからも、妻から姉にこうチクられる始末。

一日も早く全快致すために医師を呼び候積りに御座候 食事はすべて平常の通りビールなども美味しく飲み候と申居り候間必ず御心配御無用に候(P.172、明治18年1月28日妻から姉)

食事には格別替りも御座無く候 蓄え置き候日本酒も二週間斗り前に飲み尽し候間寂敷く相成り候(P.174、明治18年2月18日妻から姉、顔面痛の容態)

まぁ、酒が飲めるうちは元気ってことだな。でも、彼は酒飲みとして尊敬できるのは黒田氏と違い酒に飲まれないという点。でも、こういう一席もあったというのは、なかなか。

私ガ酒ヲ飲マズニ/斯ク晩食スル様子ヲ宅ノ者ニ見セタシ/とて笑へり 拙者云ふ/惜シキカナ北京ニハ好キ写真師ナキヲ(P.198、明治18年6月10日武揚から姉、黒田と北京での一席)

でも、酒飲みの妻ってのはやっぱりそこは小言をはずさないんでしょうね。うちは携帯メールで追っかけてきます。

近頃小樽へコレラ発病致し候よし故御酒はあまり多分に御用ひなき様に致し度く 御丈夫に任せて御不養生のなき様蔭乍ら御案じ申上げ候(P.213、明治19年8月15日妻から武揚、北海道視察旅行中に)

で、返事。

腹少敷く痛み下痢も「ツイシカリ」着後四五度これあり(決して酒の為にあらず)(P.217、明治19年8月23日武揚から妻、北海道視察旅行中)

酒飲み夫婦はどこも一緒かな。と。ちなみに親ってのは古今東西同じなようで

近頃はお前は芝居を大いに御好み成られ候由いつもお連れの人は誰に候哉 御申越しならるべく候(P.99、明治16年8月7日妻から長男へ)

こどもの友達づきあいが気になるんだな。それにしても親子は似るもんで

金八君にも久々にておとう様に御面会大悦びにて毎日うきうき致され(P.128、明治17年1月22日姉から妻)

うれしいときにはうきうきするのね。
でも、この一冊を読み通して一番思ったのは

この書簡集を通じて、ここに現われる多津、観月、井上馨夫人等々、明治期の女性たちが、はっきり自己主張をし、生き生きと生活をしている事に、認識を新たにした。(P.243、あとがき)

ということ。実は僕の家業家族の考え方に大きく影響を与えてもらった一冊でもあります。

仏公使トリクウ氏事去る十九日に当地出立にて日本東京へ帰り候に付 同氏へ託し洋銀百弗 此の度の買物料に御送り申上げ候まゝ同氏よりお受取り下さるべく候(P.106、明治16年10月23日妻から姉)

こんな風に送金にフランス公使を使い立てしたり、

北海道対雁の地面は大岡の名前に仮地券が相成り居り候まゝ昨年出立前に金八の名前に書替へ候様(P.87、明治16年5月6日妻から姉へ)

大塚より小樽買入れ地面の事今に何とも申し越さず候(P.170、明治18年1月14日武揚から妻)

土地の権利の書き変えやら、

是位の見識の学者にても百人余の弟子ありとは我邦未だ開化文明の届かぬ事知るべし(P.58、明治3年12月28日武揚から姉へ、福沢評)

拙者の考には支邦は泣寝入となり金を出してヘコタレ候事に相成るべくと存じ候(P.140、明治17年3月13日武揚から妻、仏清戦争の顛末)

外交やら世情やらをやり取りするに耐える相手なわけだ、というか頼る相手なわけだ。まぁ、ヘコタレって表現は笑えますけど。それにしても、今も昔も

「セイル、コムパニー」は主人死去後弥閉店に相決し品物は見切て二割五分引ケにて日々売払ひ候 一両日中に参り候積り「シャツ」六枚は能々出来 着早々「セール」店より送越し候(P.145、明治17年8月13日武揚から姉と妻に)

と、割引セールが好きなのは一緒なのね。それにしても、箱館戦争の首魁

防御□開拓の手掛に取掛り居り三千の軍卒とも一同必死の気組かわゆく又ふびんとも存ぜられ候(P.28、明治2年1月26日武揚から母、姉、妻へ)

で、牢獄の労名主状態

何事も不自由これなく揚り屋内諸人も皆弟子の如く家来の如く所謂牢頭様にて消光罷り在り候もおかしく存ぜられ候(P.39、明治3年3月16日武揚から母、姉へ)

で、いっぱしの知識人を気取って

油類、サボン、西洋蝋燭其の外諸種の名物製法を委く書き載せこれあり候間活計の一助に相成るべき哉将又相成るべき書中の一事なりとも駿府表におゐて製出し候様相成り候はゞ此の上なき本意に候(P.41、明治3年8月14日武揚から母、兄、姉へ)

当今の時勢何事も人より先じ候わねば利益もこれなく殊にセーミ学は未だ日本国中に小生にならぶ者これなくと高慢乍ら存じ居り候(P.43、明治3年10月15日武揚から姉へ)

生きているけど、眠いと耐えれない酒飲み。

早起きするよりいっそ徹夜決して起上り即ち此の文を認め候也 御さっしこれあり度く(中略)こゝ迄認めて少々ネムケサシ候 呵々(P.152、明治17年8月27日武揚から妻)

なんか、こういう人柄は良いよね。と思う。あ、蔵書はこれで読了だ。こんな感想文でいいのか(^^;