榎本武揚 (現代視点 戦国・幕末の群像)

余命ではなく新生命である。(P.111)

タイトルどおり、榎本武揚についての本。すでに幾冊か関連本は読んでいるので、またかいなという感じかもしれませんが、今手元に最後に残ったのはみんなそれ関係です。
ちなみに、本書は、ちょっと変わっていて、数人の著者がそれぞれのテーマに沿って、平行して榎本評を書いているもの。さらに関連した写真やら図表やらふんだんで、比較的読みやすく、榎本武揚という人物像に迫れるものだったりします。

それにしても、どうしても、普通の印象ですと幕末の反乱軍という印象を持ってしまいますが

展望のない蝦夷地政権であったが、権威に対して正面から反抗したのは、榎本の一生でこのときだけである。(P.159)

というように、実際の人生の大半は、現代に流れる色々な物事をやった人物なんだなぁと改めて思います。
たとえば、田中正造で有名な足尾銅山事件、これを解決に向かわせたのも榎本。

足尾銅山鉱毒事件調査委員会は、榎本が農商務相の職を賭して、内閣をうごかした成果であった。(中略)この委員会の設置に加えて、榎本は足尾鉱山の操業停止命令を出す。(P.76)

まるで現代のエイズ事件の時の菅直人のようです。さっさと誤って改めるってのは大事です。また、他方で、

いわゆる千島・樺太交換条約が、榎本とロシア外相ゴルチャコフとの間で、露都ペテルブルグで調印された。(P.100)

というように、今の北方領土問題の遠因とも言える千島樺太交換条約を締結したのも榎本。んで、教育勅語の手合いの制定に奔走していた大臣も榎本。でもこれは

「榎本ハ理化学ニハ興味ヲ有セシガ徳教ノコトニハ熱心ナラズ」(P.73、文部大臣罷免の理由について山県の言)

ということで、すぐ首。とにかく色々やっているわけです。それでも、北海道に愛着はあったようで、開拓使でもがんばった様子。でも

榎本の十勝砂金調査の好成績は、日高からつれていった人夫が、榎本の意にそうよう日高から持参した金を川に投じてえたものではないか、というのである。(中略)これが外国人顧問団の一面である。(P.169)

こんな風に、追い出される始末で。榎本から見るとずいぶん北海道の開拓の歴史って違って見えるんだろうなぁ。

榎本はまじめに北海道開拓をめざした。(中略)小樽よりも、榎本が真剣になったのは江別の対雁の農場であろう。(P.170)

その跡には銅像が今はあります。


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