死ぬことと見つけたり

「それに、浪人と申すものは難儀千万この上なきもののように士分の方々はお思いのようですが、実際はそれほどの事でもございません。浪人し慣れますと、これはこれで身も軽く、仲々に捨て切れぬものでして......」(上P.87)

そうなんだよねぇ。SOHO稼業って浪人みたいに気軽なところがあってやめ切れないんだよねぇ....。
さて、本書は

『葉隠』は面白くてはいけないのか?(上P.15、著者解説)

というコンセプトのもと、葉隠をモチーフに書かれた歴史小説です。小エピソードの積み重ねで構成されていますが、正直に面白いです。著者の逝去のため、話が途中で終わっていますが、言われないとあれがエンドでも別に不自然ではないかという感じです。解説についてる以降の構成案がむしろ余計ではないかと思ったぐらい。
色々書きたいところではありますが、せっかくの面白い本ですので、抜書き程度で紹介は抑えておきましょう。

<みんなひとかどのいくさ人だ>/なんだか嬉しくなって来た。/これでやっといくさが出来るな。/それが杢之助の正直な感想だった。(上P.51)
「殿に愛される家老など無用のものだ」(上P.52)
島原一揆は死人さえ迷わせる力をもっていた。なんとかしなければならなかった。なんとかこの謎を解かない限り、おちおち死んでいることも出来なかった。(上P.69)

人使いの難しさが、やって見てよく分った。完全な部下など一人もいなかった。何の役にも立たぬものもいたし、屁理屈をこねて逆に仕事の邪魔をする者までいた。(上P.244)
息子には大熊を、娘には一人静を。(中略)双方に共通するのは、ただその凄まじいまでの危険度だけである。(上P.296)
「ことを大きくするのが得意だな、あの男は」(下P.115)
佐賀のために死ぬことは自明の理だとしても、杢之助にはまだ家臣の方が主君を選ぶという戦国武士の遺風が残っている。勝茂がしたことをすべて認めるつもりは毫もなかった。(下P.154)
「申されること、なさることに責任と覚悟が必要なのは当り前ではないか」(下P.170)
「鍋島藩なんか糞くらえと云ってますよ。懐しいのは佐賀の風土だけだ」(下P.189)
所詮失うもののある方が負けなのである。(下P.191)
<名君て商売も辛いもんだ>(下P.228)
嘘つきは自分をかばうために嘘をつくわけではない。相手を失望させたくないばかりに嘘を云う。相手の心が傷つくのが見ていられなくて嘘をつくのだ。その心は優しさに溢れていると云っていい。(下P.302)