偶然と必然―現代生物学の思想的な問いかけ
進化はなんら生物の特性ではない。なんとなれば、進化は、生物唯一の特権である保存機構の不完全さそのものに根ざしているからである。(P.136)
とりあえず、私事が忙しくなってきたので読書のペースを更にダウンしてこれからは3日に一冊ということにしました。
さて、ペースダウンして紹介する一冊目は、偶然と必然です。これはネットを使って輪読会をするという暴挙をその昔敢行したときの題材です。まさにネットの力を信じていた頃の若気の至りだなと思います。その中でも特に熱心に参加いただいた方の素材がこちらにありますので、是非こちらもご一読を。
http://www.din.or.jp/~mium/#JMonod
生物という現象をどう捉えるかということを、比較的全うに科学的知見に立脚して哲学的に考察した本です。
巨視的な系を支配する物理法則に照らしあわせるとき、生物が存在しているということ自体が、矛盾を構成し、現代科学の基礎をなす根本法則のいくつかを侵害しているように見えたのである。(P.19)
ですが、決してこれがオカルトな話しではなく
生物圏が予見不能であるのは、私が手に握っているこの小石を構成している諸原子の個々の配列が予見不能であるのと同じ理由であり、それ以上でも以下でもないのである。(P.51)
と、目的論的な内容を上手に排斥し(とはいえ他方で、きちんと生物の定義を構築しながら目的主義を新たに導入しつつ)、その困惑に対して
(人類の出現という)われわれの当たりクジはモンテ=カルロの賭博場であたったようなものである。そこで十億フランの当りを手にして茫然としている人間のように、われわれ自身の異様さにとまどっているとしても、なんら驚くにはあたらないのである。(P.169)
と一刀両断。なんとも。
で、勉強メモ。
生物圏における進化は時間的に方向性をもった必然的に不可逆な過程である。(P.143)
そしてこのタンパク質の構造というのは、遺伝子の構造だけによって自由に、恣意的に指定されているのである。(P.89)
われわれがこれから取り組もうとする諸問題、すなわち発生の機構に関する問題は、生物学にいまもなお深い謎を投げかけているのである。(P.95)
科学についてこの二つはよく考慮すべきだろうな。でも、オカルトに走ってはいけないのでよくよく熟考して生きていきたいところです。
科学が与える結論を許される限り押し進めて、それがもつ十分な意味を探り出すことを、ためらってはならない。(P.v、序)
現代社会は科学によって織られ、科学の所産で生きているのであるが、その反面では、麻薬中毒患者が麻薬にすがっているように科学にすがるようになってしまっている。(P.209)