できそこない博物館

作品になりうるかもしれない発想のメモを、片っ端から公表してしまおうというのだ。こんな作家は、これまでいなかったのではなかろうか。(P.19)

いないと思います。その上、メモなのにどれもこれも面白い。全く持って、この星新一という人間はどんな脳みそしているんだ。と思うぐらいのエッセー集。
自分の作品を作るために必要なメモで未使用なものを題材にひたすらエッセーを繰り広げるというもの。これはまずいでしょうが。でも、面白い。

なにをやったらいいのか、さっぱりわからん。催眠術をかけて、おれ自身に聞いてみてくれ。(P.51)
TVドキュメント番組。全部ヤラセ。(P.60)
盗癖のあるやつと、浪費癖のあるやつのコンビ。うまくゆく。政府のごとし。(P.69)

こんな感じ。僕的にはこれだけでも面白いのに

筆力のなさの自覚も、特質のひとつだ。(P.65)

などと言うのだから恐れ入る。達人と言うのは力を入れずに物を片付けるということか。それにしても、

内外のSF作家は、作品中の空想が現実のものとなると、喜ぶものだろうか。私の場合は、がっかりという感情で顔をしかめてしまうのだが。(P.111)

という自分に対しても皮肉な姿勢を貫くところは感服。ちなみに

今の人は、マクルーハンなど知らないだろう。(中略)昭和四十二年ごろ、マクルーハン旋風が日本中を吹き荒れたのである。(P.114)

これは今は普通に吹き荒れているので多くの人が知っています。ま、世の中は動いているってことで。

「もしかしたら、客観的にみると、現在という時間はどこにもないんじゃないのか」(P.123)
「だめでもともとじゃないか。ここまできたのが、もうけもの」(P.276)