殿さまの日

幕府の強力な権力といっても、紙きれだ。幕政の中心、この広い江戸城も、早くいえば紙の城だ。武士だといばっていても、紙きれにあやつられているにすぎない。(P.390、紙の城)

現代そのもの。社会がある面で指示とか命令のネットワークで成り立っているに過ぎないのだから、所詮は紙切れ、と割り切れる人間にはむなしい限りかもしれない。
江戸時代を舞台に人の本性を上手く書き上げた時代短編集。星新一の才覚にはうーんとうならされる。普段のショートショートもいいけど、こういう一風変わった作品であっても実に面白い。でも、買ったときより今読み返してみると更に面白く感じる一冊だったりもする。それは、落ちのトリッキーなところがないけれども、人間の本質を上手にえぐった話が多いからなのかとも思う。
冒頭に引用した「紙の城」なんかは、事の本質よりも形式だけで動く今の社会の痛烈な風刺だ。

「いまの世には、字そのものを虚心にながめる人がいなくなったということなのだろうな」(P.383、紙の城)

この字を、色々入れ替えれば様々な場面で通用する警句。とはいえ、企業に勤めれば

「わたしは幕府の禄をはむ武士のひとり。この悪政の廃止に力をつくすべきかもしれません。しかし、それは理屈です。」(P.188、元禄お犬さわぎ)

のような、なんともしがたい立場に置かれ、それでもなおコンプライアンスなんていわれたりもしちゃう。その上、

金銭は商店の生命。主人や番頭が死んでも、金銭さえあれば店はつづく。(P.78、ねずみ小僧次郎吉)
金には敬意を払わなければならない。商人に対してではないのだ。(P.37、殿さまの日)
世の中における最大の標識はなんだろう。金銭かもしれないな。(P.47、殿さまの日)

と、お金が大事と言うことは、昔から人の本性となっているのではないかと。そんな社会であっても

手をこまねいていたのでは、事態は少しもよくならない。現状のなかで、せい一杯の努力をする。それがまともな生き方というのではなかろうか......。(P.274、厄よけ吉兵衛)

と思う人の心もある。がその一方で

たかが湯だ。そんなにしてまで、きまりを乱してたしかめてみるものでもない。(P.16、殿さまの日)

という何もしないという選択もある。江戸時代という舞台を借りた現代風刺劇。
ちなみに、本書収録で昔読んで今読んで本当に好きな作品がこれ。

時どき、逆立ちするのが、ただひとつの趣味だった。はたから見ると、まことに奇妙なものだった。(P.232、ああ吉良家の忠臣)

ほろっときます。何でこのオチかと言うのは是非読んでみて下さい。