能狂言
皆に成る迄喰ふたれども、しなれぬ事の目出たさよ。(中P.125、ぶす)
日本の伝統芸能でありながら、あんまり良く知られていない能狂言。落語とはまた違った形での笑の寸劇。本自体は結構読みにくいけど、慣れると楽しく読めます。このぶすは小中学校のときに普通の劇にしてやった記憶もある。
どれもこれも面白いんだけど、面白いだけではなくて生きる無常みたいなもの
畜生の悲しさは、今おのれが命の失る事は知らいで、例の舟こぐまねせよと云事かとおもひ、打杖を追取て、舟の魯を押すまねをする。(上P.270、うつぼざる)
きのふ迄は我らごとき者を見ては、あれは世捨人か、但し世にすてられ人かと存て御ざるが、けふはわが身の上に成て御ざる。(中P.284、どんだらう)
惣じて出家と申ものは、人の哀れみでなければ旅は成りませぬ。(下P.38、ろれん)
もこんな風にある。それ以外にもただリズムの面白さ
昆布めせ、こぶめせ、おこぶ、若狭の小濱のめしの昆布。(上P.348、昆布うり)
で引っ張るだけのところもあったりと、泣き笑いを上手に構成している名作ばかり。
ちょっと分量も多いしとっつきにくいけど、日本人なら読んでもらいたいかな。
以下はメモ。もったいないので消さない。
あのおうちゃく者。たらされた。とらへてくれい。やるまいぞやるまいぞ。(上P.230、入間川)
こなたには栗焼く言葉を御存無いと見へました。(中略)逃栗・逐ぐり・灰まぎれとて、三つは失て候はず。(中P.34、くりやき)
誠に哀な物語りじや。夫は共あれ、残ったひとつの柑子をおこせ。(中P.132、かうじ)
大むかし中昔當世様といふて三通り有るが、わごりよは何れがならひたいぞ。(中P,213、おんぎよくむこ)
(アド)三河の國には八橋といふ名所が有る。(シテ)をゝ有る共。(アド)あちらへこちらへ掛て有るは。(下P.213、じしやく)
イヤ申、こなた程の御方が夢などを心に掛させらるゝと申事が有る物で御座るか。(下P.297、花子)
イヤ、こちにも咎に成るといふ古歌が有る。(下P.349、はなぬすびと)