きまぐれ星のメモ

たかがオモチャという考えがあるとしたら、これは最もいけない。(P.15)

自分の仕事のテクニカルな基盤がある本が「企画力の育て方」なら自分の生き方のメンタルな基盤の一つがこれ。15歳のときに田舎の本屋で「ノックの音が」に出会っていらいの星新一ファンですっかり作品にほれ込んだだけではあきたらず、その著者の発想の源泉を知りたく読んだ本。
そのときにも大きい感銘を受けたけど、今読み直しても、やっぱり感銘を受けます。僕を知る人が以下の抜書きを読むと、ニヤニヤしながら、「ははぁ、なるほどね」と楽しんでいただけるかと。
個人的には人類必読のエッセイ集だと思っています。

そもそも私の作品の登場人物たちは、どれもこれも飛びまわるのがきらいである。おそらく作者の性格の反映であろう。(P.95)
それを求める人だけが訪れるべきであろう。(P.125、犬山の評)
農芸化学科という理科系を出ていながら、その友人は新聞社に入社し、私は作家などになってしまった。その遠因は実験をなまけて碁に熱中したため(P.153)
いったい、なぜなにかをしなければならないのか。することがなければ、しなければいいではないか。(P.181)
文明とは計算である。(P.199)
人間は本来それほどヒューマンでないことを直視し、その上に社会を築こうとするほうが、かえって賢明のような気がしてならない。(P.232)
世の進歩をはばむものは、大衆の無理解ではなく、専門家と称する人の保守性の方にあるようである。(P.243)
フィクションの楽しさが成立するには、いろいろな条件がある。第一に関係者が正気でなければならない。無知であってはならず、健全な常識の持主でなければならない。そのほか、技術もけっこう必要だ。(P.247)
食べる楽しさというものは、心ゆくまでしゃべり笑いながら、好きなものを大量に食べる点にある。(P.285)
ことさら社会奉仕など、しなくてもよいのだ。みんなが社会不奉仕的な行為さえしなければ、矛盾は大幅にへるに違いない。(P.310)