ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン
世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、最も評判の高い、偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。(P.39)
日本人のことですかね?アテーナイを日本の都市に書き換えると、そのまま読めてしまうような気がします。
いわゆるソクラテスの弁明と言うやつです。一人語りの芝居や朗読の素材としていいのではないかと思うぐらい、もとの文章の格調高さと人間的なこだわりが見える名文です。でも、個人的には、クリトーンとパイドーンは、いらないかな。
でもこの弁明を読むだけで、ソクラテスのように生きたいと思えるのは僕だけではないと思います。是非一読してください。非常に短い文章ですが、人として誇り高く知に生きると言うのはどういうことなのか真剣に考えさせられます。
裁判官という者は何のために、そこへ座っているのかといえば、それは正邪を判別するためであって、それを依怙の沙汰とするためではない。(P.53)
わたしが敗訴になったのは、不足は不足でも、言葉のそれではなくて、厚顔と無恥の不足したためなのだ。(P.60)