学校は変わったか―こころの居場所を求めて

「これから期末試験が始まります。みなさん、僚子さんの分まで、点数を稼ぎましょう」(P.74)

門扉の圧死で死んだ子の追悼が点取り。恐ろしい話だ。確かに「誰かの死と引き換えに何かの価値を生み出して」、という心の正当化は人間あるものではあるが、その引き換えがたかが期末テストの点数とは。どれだけ心のゆがんだ社会だったんだろう。

本書は、内申書開示問題で自身が訴訟まで体験した著者が、ゆがんだ日本の学校というものを取材したもの。まぁ、そういう意味では多少割り引いて読むべきものではある。それでも、冒頭の事実はいかんともしがたかった当時の学校というものを思わせる。

「子ども」の減少も、これまで語られてきた「環境問題」と同じように深刻に語られる日が、もうそこまでやってきている。(P.207)

いまや環境問題を通り越して、少子化のほうこそ具体的に問題視されている。しかし、

「親にも名誉とか都合とか理屈がある。それに目をつむってきた教育委員会や文部省、これは全部共犯関係。その御都合主義の犠牲者が『子ども』だと思います」(P.239、鳩山邦夫元文部大臣)
「結局は相手は社会なんですよ。学歴偏重社会という魔物がまだまだ威張ってるんですよ」(P.241、鳩山邦夫元文部大臣)

こういう問題の元凶である大人のエゴを満たす政策ばかりだ。しかも、こういう発言している当人もそういう政策を作る与党にいる。結局問題は解決していないのかもしれない。また、地域自体

はじめ不思議に思っていた「回覧板を入れないで下さい」という意味がうっすらと見えてきたような気がする。誰にも迷惑をかけまい、そして関わるまいという意思表示にも思える。(P.53)

こういう風景が普通になりつつある。こんな大人が人と関わることを拒絶する社会に未来があるのか不安にはなってしまう。どんな社会になるか分からない以上、せめて、子どもにこ思える体験を積ませてあげないと。

鮮やかに「あの時は楽しかった!」と思い返せる人はパニックや逆境に強い。(P.12)