チャランポランのすすめ

このごろ大学生が、テストのときに、時間終了前に答案を出さなくて困っている。(P.27)

そうですか。僕が大学生の時には、30分で必ず退席してました。20分前に出ようとして「ちょっとまて、後10分ある」と怒られたぐらいにして(^^;
ジジイのたわごと系の本です。でも、前のジジイのたわごとよりはよっぽど楽しいたわごとです。

授業に出てない学生のテストが悪いのは同情するが、出席したクセにできないのは容赦なく落とすようにしましょうね。(P.24)

これも、自分の大学院のときの先生が教養の授業で同じ事を始めに宣言しました。そんな教授に習ったので結構同じ思想かも。それにしても、前提条件は違うけど、彼の主張の結果には同意できることが少なくなく、面白おかしく読みました。

現在の学校では、無償にしてさえ、塾に勝つのは難しい。実際にぼくは雀荘と、客引き競争に負けてばかりいるのだ。(P.79)

ちなみにうちのセンターもこういう競争には負けっぱなしです。頑張らねば。

とりあえず以下、メモしたのを消すのももったいないので、残すだけ残すかな。

学校ごとに、勝手な基準で勝手な科目を試験するのが学校格差解消の近道じゃないのか。「客観公正なテスト」なんてことを言うから、学校の序列化が生まれるのだ。(P.12)
このごろ、非行生の言いぐさが気に入らない。/同じように悪いことをしても、叱られるのと叱られないのがいて、不公平だという。公平を気にするなんて、それでよく、悪いことが出来たもんだ。(P.21)
要領がいいのは要領いいなりに、ドジはドジなりに、うまく暮らせるのがよい。(P.23)
悪の存在を公共の責任に還元してはいけないのではないか。そのうちに泥棒の存在を許した自治体にむけて、賠償請求の裁判が起こりかねない。(P.53)
いったん選挙した人間を、気に入らないからと変えられるような、そんないい加減な気持ちで投票して欲しくない。そんな人間を選んだみずからの不明に、任期の間、臍をかんでいるべきなのだ。(P.73)
むしろ、少々のことでは傷つかない関係を作ることのほうが、大事なのではないか。(P.149)
「日本語の乱れ」を気にする人もいるが、乱れない文化は死んでいるということだ。(P.183)
このごろの若者は、声高に正当性を主張してものを取る術は知っていても正当性など無関係にものを貰う手管はだめになっている。(P.192)
自分の身のまわりにとって、他人で代用のできない自分であることが、はじまりだろう。自分が自分であることは、まず自分の周りから始まるのだ。(P.259)