石川啄木集
いつも子を/うるさきものに思ひゐし間に、/その子、五歳になれり。(P.145、悲しき玩具)
ふるさとの山はありがたきかな(上P.122、煙(二))
お、啄木君君もですかなどとと、思わず共感してしまった。下の子は五歳、上の子の宿題はふるさとの山が片付けてくれた。一握の砂・悲しき玩具では、くそみそにけなしたのに(^^;
なぜか、「一握の砂・悲しき玩具」を持っているくせに、さらに買い求めていたらしい2冊。かなーり重複しているので、正直どっちか持っていればいいように思う。で、個人的には、どうせ持つならこっちなんじゃないかな。
詩人啄木のダメ行動の裏での悩みっぷりがよくわかるし。
「我は詩人なり」という不必要なる自覚が、如何に従来の詩を堕落せしめたか。(上P.134、食うべき詩)
自己を軽蔑する人、地から足を離している人が、人生について考えるというそれ自体が既に矛盾であり、滑稽であり、かつ悲惨である。(上P.149、性急な思想)
酒や皮肉にその日その日を紛らしたり、一生何事にも全力を注いで働らくという事なしに寂しく死んでゆく、意気地のない不平家の一人である外はない。(P.109、平信)
なんかは、自分自身でもそんな気になってしまう。
あと、時代を良く見ていたというか、今も昔も変わらないのが
「国家は強大でなければならぬ。(中略)但し我々だけはそれにお手伝いするのは御免だ!」これ実に今日比較的教養ある殆ど総ての青年が国家と他人たる境遇に於て有ち得る愛国心の全体ではないか。(上P.248、時代閉塞の現状)
というモラトリアムだったり、
育児は社会全体の責任で、親の責任じゃ無いとか、何とか、(P.225、彼らの一団と彼、女性の社会進出について)
という、親の育児放棄的状況の予想なんかは、なかなかいい感じの予言だ。
あ、前のときに書けば良かったけど改めて、代表的な詩で、印象に残ったものを。
はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢつと手を見る(上P.43、我を愛する歌)
働けよ。(俺もか、反省)
あらそひて/いたく憎みて別れたる/友をなつかしく思ふ日も来ぬ(P.29、忘れがたき人々(一))
仲直りしようね。(俺もか、反省)
ちなみに、へぇって思ったのが
スタンプに「近文二線」とあってそれが何と読むか解らなかった(P.180、二十六歳の手紙)
ということは、うちの祖母とかと同じ時代に同じような地域で同じようにいたことがあるんだなぁと。ちょっとダメ人間と烙印を押した啄木君にとても親近感のわく2冊でした。