博物館の楽しみ方
博物館の眞正なる意義は決して単なる倉庫に非ず、陳列所に非ず、学術研究の目的と、社会教育に資するを旨とす可し。(P.26、「通論考古学(大正11年)」より)
実は、大学時代、学芸員になりたかったことがあって関連単位を取得したんだよね。なので、博物館やそのあり方については、本業の方ほどではないにせよ、それなりに熱い思いがあったりもする。そのとき書いたレポートとよく似た博物館ができていて驚いたりも。ま、人間考える事は似通うよね。
それにしても、案外と学芸員とか博物館の本分は知られていない。
科学技術コミュニケ―ターは必要か?
結構なコメント論争になったけど、普通に博物館の定義を思い描けば、誰でも僕と同じ発想に思い至るもんだとは思う。
「博物館とは、社会とその発展に寄与することを目的として広く市民に開放された営利を目的としない恒久施設であって、研究・教育・レクリエーションに供するために、人類とその環境に関する有形の物証を収集し、保存し、調査し、資料としての利用に供し、また展示を行うものをいう」(P.28、国際博物館会議の定義)
だし、
学芸員=研究者+教育者+技術者+企画者(P.175)
なのだから、学芸員というスキルある人材の活用こそが科学技術理解への近道だと思う。
また、あわせて、かの有名な旭山動物園に関しても
旭山動物園は大丈夫なのか
のようになる源泉として、市民の大半はその動物園というものについてはタナボタ的に手に入れたに過ぎない。
賛成意見が出ると「ソウダ、ソウダ」、反対意見が出ると「ソウジャネー、ソウジャネー」と集中攻撃をやった。博物館ができたのはすべての人たちの賜だと思う。(P.68、議会での博物館建設運動の一こま)
博物館廃止を主張した議員は、そのときの選挙で落選したそうである。(P.73)
ここまで戦ってたものだろうか。
それぐらい、日本という国で、社会教育と博物館と学芸員というものの適切な認知は薄い。
たしかに
一九五一年(昭和二六)一二月に博物館法が制定施行された。世界で最初に制定したイギリスに遅れること、およそ100年後のことである。(P.7)
のように、法制度的には100年おくれているのだし、それぐらいおくれていてしょうがないという言い分も成り立つのかもしれない。でも、やっぱりそれでは悲しい。
よい展示というのは、知らず知らず引き込まれ、興味をそそられ、新しい知的な発見に喜びを感じさせられるものである。(P.34)
こういう知的発見のある、博物館がじゃんじゃん出来上がる日本という国になってもらいたいものである。それでこそ、はじめて文化としての科学という側面においても、欧米にキャッチアップしたといえるのではないだろうか。だからこそ、多くの国民にこそ、その一歩としてぜひ一読して欲しい本でもある。