アイヌ人物誌

おのづからをしえにかなふ蝦夷人(えみしら)がこころにはぢよみやこがた人(P.39)

非道の和人話を集めた松浦武四郎の著作。こりゃひどいって感じです。こんな気分はよくわかります。

このアイヌの恨みの声を、私だけでなく各界有識者の方々に知っていただきたいとの願いによって、松浦武四郎源弘は、このように記しおえたのである。(P.342)
彼らといえども、意気地があり、あの悪徳商人どものような卑しい連中と比べれば、どれほどましかわからぬ(P.94)
この書物を読むものは、(中略)利益を追い求める気持ちは静まり、人間本来の正義感が自然と湧き出てくるに違いない。(P.144)

でも、あくまで、侵略者の親切という事実は変わらない。

アイヌたちは、その性質が純朴で太古の民のような心の持ち主(P.104)
あの悪徳商人どもがはびこって多くの民衆を殺してしまった中にあって、ただ一人、義勇の魂を貫きとおしているその姿に、これこそわが皇国の威風の現われであろうかと(P.210、シタエホリ)

このように、アイヌをアイヌとして捉えているわけではない。でも、この時代背景を思えば、この視点であっても、これだけのことを記録し、可能な限り公平な視点で、優れたアイヌの人を記述しようとしたその情熱はすばらしいと思う。

「そのとおり、私どもの家は汚のうございます。旦那はどちらへ行かれるかは存じませんが、どこまでおいでになろうとも、アイヌはこうしたものでございます。そのアイヌを治められる役でありながら、アイヌとはどういうものかをご存じないとは、不心得なお話じゃ」(P.120、クワレンキが通過する役人に対し)

「親のことを頼んだからといって国後へやってひどい目にあわせようなどとはおかしなことじゃ。わしは、これから国後へやられて使い殺されようとも一向にかまわぬ。孝行の道をはずれさえせねば、少しも恥ずかしいことはありませぬ。」(P.168、ウナケシが養老の手当てをくれない支配人に対し)

「五十年ほど前には、利別ではわしらも、出稼ぎの和人も、みなたばこを作っていたのを、請負商人から禁じられたということを、なんとかして皆に知らせたいものじゃ。」(P.178、シテバとオホンの母)
彼は酒好きで、ときたま、自分が彫った品を持ってそっとやってきては酒をねだるが、これもまた愛すべきことであった。(P.191、モニオマ)

「このムノニカンを蒔いて、たくさん収穫して見せ、畑は良いものじゃということを教えようと思っております」(P.238、エコラツセ)

「私がここにまいりますのは、飯を食べるためではなく、手習いがしたいからであります」(P.259、エトメチユイ)


あと、蛇足ながら、この時代の風俗として気になったものをメモ。意外と進んでいたり、交流したりしていたのね。

昆布を取り出して炉で焼かせるなど(P.44)
近年、西洋から伝わった種痘の法を実施なされたのである。(.P.72)
義経の鎧通し(短刀)という物も代々伝えられ(P.193、メンカクシの家について)