榎本武揚と東京農大

東京農大の創始者としての榎本武揚を評した本。調べ者目的で買ってあったものの再読。
改めて読むと結構新しい発見もある。

東京興農園を設立し、わが国の種苗、農具の生産販売の先駆者となり、また通信販売の創始者ともなった。(P.104、渡瀬寅二郎)

そうそう、先の北海道百年に出ていたけど、これの札幌支店に相当するものが成長して五番館になったんだよな。結構つながっているのね。

「殖民」「殖民移住」なる用語は明治二〇年代に榎本武揚が使い始め(P.164)

けっこう、へぇって感じ。

豊平川向岸ニ赴キ破裂薬ヲ生木ヲ砕クコトヲ試ム頗ル可(P.135)

科学者榎本のによる開墾。きっと地元の人は驚いただろう。

農場経営が月給制では困難なことを榎本は気づいていなかった。農業はこの時代家族労働を中心とした家族経営が主体だったのである。(P.144)

で、この農民の土地志向に、きっと榎本は驚いただろう。

釜次郎は五稜郭の設計者である箱館奉行、諸術調所教授武田斐三郎に会ってその設計図をつぶさに見ている。(P.121)

これは本当なら、根拠がみたいんだよなぁ。というのも、10代での箱館行自体の存在を疑う説もあるのでその辺を探しても実は見つからなかったんだよなぁ。

西洋のテロ行為は、階級意識から生まれた無政府主義者の暴行が多いのに、日本の暗殺者は愛国心と義務の精神から行われる。(P.97)