デジタル世紀のプライバシー・著作権―新聞・出版はどう対応するのか

言論の自由は、経済的基盤の確立もさることながら、より本質的には自分の生命を代えてもこれを守るという高度な使命感によって支えられるべきものであって、新聞人が社会の木鐸として世の尊敬を集めているのもこの点にあるのではないかと(P.213、再販制度と言論の自由について、婦人団体連盟の方の発言より)

立場は違えど、僕もこのご婦人の意見に賛成である。確かに、著作権にせよ何にせよ、デジタル化で大きな変化をもたらし続けている。

はたして「便利なことはいいこと」なのか、新しい技術が人々にどんな幸福をもたらすのか。(P.128)

という疑問は確かにある。だが、だからと言って、第四の権力とまで揶揄されるほど肥大化したメディアの優遇が幸せをもたらすとも思えない。どんな時代の技術でも制度でも、大事なのは、自らの権利は自らで勝ち取る事こそが大事なのだ。
いま、メディアにとって有利ではない社会情勢であるが、それは支持されるに足る努力をしていないことの裏返しに過ぎないのではないかという疑問を常にもって、活動して欲しいものである。
とはいえ、社会を構成する僕たちも、何が社会のメリットなのかを考えて行動する必要性は彼ら以上にあるのだろうけど。