コンピューター文化の使い方

科学アマチュアリズム、パイオニア精神、インターナショナリズム、メディアが個人と人民に属するものだという考えとか、あるいは道具は自分たちで作るというような考えとか......。(P.148、アマチュア無線の思想)

うん、変な○○メディアとかITとかいうより、コンピューター文化というほうがしっくり来る。
だって、結局、メディアってのは意図を伝え合うときの媒介になるもの全般を指すだけだし、ITも情報を取り扱う技術全般を指す言葉に過ぎない。ITというものやメディアというものが突如出現して、何かを変革したわけではなく、コンピューターが出て来て、ITの一部を担ったりメディアの一部を担うようになっただけのことなのだ。

でも、1994年のインタビュー集だけあって、話しは古い。

コンピューターは支配のための道具だという意識があったんですよね。(P.12)

なんざ驚きだ。でも、古いがゆえに、今につながる忘れがちなオリジンを見せる内容も少なくない

パーソナル・コンピューターという概念そのものが教育と密接不可分の場で成立したという事情がありますね。(P.18)

道具のほうが、こういうことができる、ああいうことができるとユーザーを扇動するようになってきてるでしょ。(P.16)

のように、非営利から営利、人主導から技術主導に変わってきている。それはAppleIIと比べるとあのマックでもそうだというのだ。
また、今への予測としても優れたものもある

「それはちがうでしょ。できるけど自分たちはそれをやらないということにしないとコミュニティは成立しないよ」(P.101)

みたいなコミュニティ崩壊は事実うるさいぐらいあるし

功なり名なり挙げてからコンピューターを使うのがいいと。(P.143、高齢者のほうが適応が早く、アメリカでは講座の人気も高いということを受けて)

高齢者のネット活用に優れている事例が少なくないというのはまさにそういうことだろう。僕も教えていていつも実感するもん。コンピューター文化を満喫できる素地があるというのはコンピューターそのものへの知見ではないのだろうなと。

それにひきかえ、ぼくなんか、いろいろいっても、けっきょく活字の本をだしているだけだからさ。(P.120、自発性のなさに対して)