ドゥイノの悲歌
あらゆる存在は一度だけだ、ただ一度だけ。一度、それきり。そしてわれわれもまた/一度だけだ。繰り返すことはできない。しかし、/たとい一度だけでも、このように一度存在したということ、/地上の存在であったということ、これは打ち消しようのないことであるらしい。(P.67)
西洋の詩を読むのは結構苦手だということに、気がつき始めた。というのも、自己存在と神とがっぷりよつに組んで、修辞の限りの言葉を使うからだ。日本や中国の詩のような情景をつらつらと書いている中から、読者がかってに風情と思いを読み取る自由が、西洋の詩には感じられない。
でも、買い溜めていたので、ひたすら読むことにする。
わたしたちは誰を/たのむことができるのか?天使をたのむことはできない、人間をたのむことはできない(P.7)
社会に頼んでください。組織にたのんでください、とか突っ込みを入れたくなるほど自己と神しか見えていない感覚。
とはいえ、現実を見ていないわけでもなく
われわれが向きあっているのはいつも世界だ、/けっして「否定のないどこでもないところ」(略)であったことはない。(P.61)
天使にはただ素朴なものを示せ。世代から世代にわたって形成され、/われわれのものとして手のもとに、まなざしのなかに生きている素朴なものを。(P.70)
と、実在世界を見つめていないことはない。でも、こんな詩集を読み解けなくても、こう思う。
わたしは是認されていいのではないでしょうか。(P.34)