ヴァーチャリアン嘘つかない―マルチメディアの正体を暴く

ゲーム・クリエーターは、一つのメディアにたくさんのもの......「映像」とか「音楽」とか「文学」とか詰め込むことよりも、「ゲーム」として他のメディアを圧倒することに血道をあげるべきなのである(P.47)

これまた、3DOが出たくらいのころの本です。ゲームがマルチメディアの一つであることに間違いはないのだけれど、ゲームそのものがマルチメディアではない、という当たりまえのことを見失っていました。そして、技術論ばかり先行し「リアル志向」というワナ(P.41)に各社がどっぷりつかっていました。

「ゲームは進化すると『現実』に近づく」というのはうそっぱちではないか。/だって現実そのまんまだったら、お外に出て遊んだほうが楽しいでしょ?(P.18)

そのとおりで、これを忘れていた会社の多いこと。心ある会社はこの時点でも本業を見失っていなくて、

「ゲームに『マルチメディア』なんて偉そうなネーミングをして、過大な地位を与えてしまってから話がおかしくなってきた」(P.62)

と、状況のバブリーな雰囲気を感じ取って眉をひそめていたわけです。そのゲームというメディアの本質は何かといえば、僕自身もその昔指摘したのだけれど

「インタラクティビティー」の快感文法である。画面の中のものを自分の手で、押して、引いてみたときの、純粋な「きもち良さ」、だ。/これが、ゲームのゲーム的な快楽の、原点なのである。(P.33)

という、操作感なのだ。(ゲームを語ろう~Fさんの部屋に収録されている「TVゲームの面白さ」なんぞも参考にしてください)
で、話が戻るわけだが、そういうことを踏まえて、ゲームというメディアの中身を作っていかなければならないのである。
で、近年、ツールが向上し、素人さんがそういうことに気づかせてくれる側面があるものの

そこ(皆が使えるツール環境)で生まれる「名作風」のソフトすべてが、名作であるはずがない。/クリエーターとしては、そこでもうひと踏ん張りしなきゃならんのである。(P.119)

という部分も少なくない。昔ほど、わさわさとプラットフォームが出現しないので、勝ち馬探しはないものの

ソフトメーカーとしては巨額の予算を掛けてどの機種向けにソフトを作り始めるべきか、思案のしどころだろうと思う。小さなソフトメーカーなどはヘタすればそのニューハードと心中しちまうことになりかねないのだ。(P.134)

という、浅ましさは消えない。本当に良いものを作る気ならば、「そのプラットフォームを俺が勝ち組にしてやる!」という気合の入ったキラーコンテンツを造るのがソフトのつくり手の本当のあり方ではないか。
冒頭のように他メディアを圧倒するコンテンツを作るのに血道をあげる、というのは、他プラットフォームを圧倒することに血道をあげるというのとさして変わらない。
その真剣さの有無が、結局、勝ち組を決めてきたんだよなと、後付で現在を見てみるとよく判る。