室生犀星詩集
ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの(P.17、小景異情その2)
室生犀星なんざ、学校の教科書でこの句を読んで覚えているぐらいだ。と、思いながら思ったのは、覚えているというだけですごいのではないかと。だって、教科書にいろんな作家のいろんな文章が載っている中で、一つでも覚えているというのはすごいことのような気がする。
で、大学のときにとりあえず買ってざっと流し読みしてそのまま放置だったような気が。読み直してみると、微妙に変なところろで面白がれてしまう。
ここはジヤパンよ/ここからがジヤパンになるのよ。(略)さう此処がジヤパンなの、/ジヤパンは暗いわね。(P.161、税関)
わかったわい。しかも落ちはジャパンは暗いですか。そうですか。ってツッコミが入っちゃいました。さらには
生きたる鼈を手に持ち(略)わんぱあ、わんぱあとは叫べり。/我、この声を聞くごとに/その声に和するごとく/わんぱあ、わんぱあと心の中に叫べり。(略)ああ わんぱあ わんぱあの声絶え間なく(P.170、鼈)
わんぱあって何ですか。絶え間なくリフレインしまくっている状態がなんか笑える。それに鼈(すっぽん)もって振り回して「わんぱあ!」って叫んでる男を想像するとまた笑える。
けふ はじめて/みみずといふ生きものが/めくらであることを知つた。/この悲しい一つの出来ごとを知り、/みみずを粗末にしてゐた僕自身を/恥じるやうな思ひであつた。(P.187、みみずあはれ)
おい、たかがミミズがメクラってだけでそんなに改まらないでよ。ミミズだってそんなに同情されたくないでしょうが。だいたい、悲しいかどうかはわからんでしょう。
ぴよろとなくはかもめどり(P.27、かもめ)
かもめって、ぴょろって鳴く?
まぁ、面白いなぁと思うところはそれとして、結構、室生犀星の詩の根幹テーマはふるさとなんよね。かれこれ愛知に移住して10年たった感覚として
この都の年中行事にもなれた/言葉にも/人情にも/よい友だちにも/貧しさにも慣れた/どこを歩いても嬉しくなつた/みな自分の町のひとだと思ふと嬉しかった(P.98、第二の故郷)
は、結構判ってきたような気がする。と同時に
ああ、ふるさとはわがさしのべし手にそむき/つめたき石を握らせり。(P.59、滞郷異信)
という感覚もゼロではない。ふるさとは遠きにありて思うもの、というはじめの句が最も絶大に支持されるのもよくわかる。
仕事と家庭に対する室生犀星の姿勢も結構好きだ。
ひとびとはみなあきらめたまへと云へども/げにあきらめんとする心、/それを無理やりにおしこまうとするは/たとへがたくおろかなり。(P.128、あきらめのない心)
悲しいが楽しんでゆけ、/それなりで凝固つてゆがんだら/ゆがんだなりの美しい実にならう(P.145、家庭)
仕事にしがみつこうとも家庭が少々歪もうとも、生きていくしかないのだ。幸福の幻想ばかり追ってはいけない。そんな気分になった詩集だ。
幸福なんぞあるかないかも判らないが、/生きて生き抜かなければならないことだけは確かだ。(P.234、あさきよめ)