プリンシプルのない日本―プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか。

このみじめな状態に国民を引きずり込んだ責任は、現在の四十歳以上の人々はみんなあると思う。(P.60)

さて、これは戦後の状況を見て、かの白洲次郎が残した言葉だが、実際、政府に借金が700兆もある状態をもってして、惨めな状態と思えば、この状態に引きづりこんだ頃の有権者、つまり現在40歳以上の人々はこの言を改めて突きつけられても、反論の余地は無いのではないかと思う。議会は国民を代表しているので、議会は国民そのものだとも言える。(P.94)その議会が長年掛けて借金まみれにして、おまけに年金にまで手をつけてバラマキをやったのだから、年金もらえないのなんて、自業自得でしょうが。更に白洲は言う。

責任はみんなにある。くどい様だがその責任の軽重だけだ。重かろうが軽かろうが、必要なのは反省なのだ。(P.60)

と。マスコミの馬尻に乗っかって政治批判をしている人は反省すべきだろう。
白洲次郎のエッセイ等々を集約したのが本書。案外と政府批判、大企業批判に満ちて見えるので、無責任に読んでしまいがちだが、しっかり読み込むと、結局のところ自分がしっかりせねばならないという話が軸。プリンシプルを持つべきは、誰あろう国民一人ひとりでしかないということなのだ。

僕も国の助成金事業に参画することもある。その現場で見聞きする現状は白洲の時代となんら変わらない。

補助金が無ければやっていけぬ様な産業はこの際思い切ってやめるがよい。(P.99)
やれ補助金だ、やれ割当だと、こまってくるとすぐ政府になんとかしてくれと泣きつく貧乏根性は、もうやめてもらいたいものだ。(P.189)
自分の技術に、自分の経営にそんなに自信がないのなら、そんな連中は交代したらいい。交代しても技術も経営も向上の見込みがないなら、そんなに国民の犠牲(公的助成金)において金もうけばかり考えるのは不とどきである。(P.214)

こんなのは日常茶飯事だ。戦後全く産業界も実態として成長していない。助成金によって、さっさと市場退場すべき企業が無駄に生きながらえていて話がおかしくなっているのだ。
さらに、思いっきり苦笑してしまうのが

新生活運動とやらをやるのなら、ついでに「朝起きたら顔を洗う運動」でもはじめたらどうですか(P.65)

と言う皮肉の発言は、今では、「早寝早起き朝ご飯運動」というあっと驚く運動をやってみるというあきれっぷりで再現。

なんだか、それこそ半世紀も昔の白洲次郎の馬尻に乗って、もっと言いたいことはたくさんあるんだけれど。ただ、今の日本で、白洲次郎のこんな覚悟は結局忘れ去られているんだろうな。自分だけでも気合入れてやれることをやるか。

この国をこんな破産状態に陥れたのも我々の時代だ。死ぬまでに我々の愛する子孫の負担がいくらかでも軽くなっている様に、ここでほんとうに腰をいれてやろうではないか、現実を直視して。勇気と信念を以て。(P.132)