北の礎―屯田兵開拓の真相
結局イモを食べてがんばった人が残って成功し、食わなかった人はだめでしたね(P.160)
僕は基本的に開拓苦労話は嫌いだ。屯田兵や開拓に入った方々の労苦を認めないという意味ではない。今まで食べてきた米が食えなくなったぐらいで、悲劇のヒーローヒロインづらすんなと思うだけだ。それ以外の部分での苦労は大変だったろうなぁと本当に思うし、その台地で育ってきたので尊敬もしている。とはいえ人々から「イモ屯田、イモ屯田と笑われました」(P.170)のような下らぬ誹謗を受けていてはそう思ってしまうのかもしれない。でも、大航海時代を制覇した食であるジャガイモを食って何が不満なんじゃいという話だ。米がよくて芋が悪いという価値観が、北海道の植民地根性を固めてるんじゃないんだろうかとかうがった見方をしてしまう。
屯田兵は、
今なら公共事業に当たる工事も全て演習、訓練として労務を提供、資金を出して自前で行い、後に村に寄付をした。(P.96)
というように、北海道の開拓初期において、本当に役立ってくれた人々だし、尊敬すべきなのだ。本来こういう話だけを粛々と語り継げばよいような気もする。そういう話すら十分に語り継がれていないのではないか。
たしかに
開拓使廃止とともに、屯田兵は陸軍省の所管となる。兵屋は部分変更を加えたが(略)むしろ粗悪化傾向が強まった。(P.93)
というぼろ屋住まいだが
こうした兵屋は一般住宅のモデルとなった。(略)あばら家兵屋の罪は大きい。(P.98)
ということで、みんなでぼろ屋住まいだったわけだ。なので、この辺は、別段、屯田兵固有の苦労ではない。とはいえ、家に対する無理解は北海道移民にはつらかったろうなと思う。
屯田兵が残した気質は
「地域の誇り、助け合い、新しいものへの挑戦」(P.300)
という。僕もそういう側面はあるし、まさに屯田兵の皆さんのおかげなんだと思う。
が、他方で、「地域の誇り」が復古主義な気持ちを生み出し、「助け合い」が誰も責任を取らないもたれあいを生み出し、「新しいものへの挑戦」が助成金のおかしな活用で見られるような山師根性を生んでいる側面も否めない。とはいえ、今の北海道をよくするのは悪条件の中、泥炭地を拓いて室蘭の礎を築いた屯田兵の開拓者魂です(P.151:今の室蘭に必要なもの)ということはたしかだ。
屯田兵はかわいそうで、その努力でいいことばかりが出来上がって、悪いことはみんな中央がやったことだ的な論調はやはり首肯しかねる。とはいえ、この本は2部構成で、ちゃんと中央から見た北海道開拓の話も出ているので、好感が持てる。とはいえ、
「屯田兵と囚人とは、名誉と汚名の違いがあり、程度の差はあるが、共に検束労働力である。」(P.103:北海道教育大学教授榎本氏)
は現実であろう。ちなみに、屯田兵の指揮官で北海道の長官をやった永山武四郎は
明治の歴代北海道長官のうち、北海道に墓があるのは永山ただ一人である(P.253)
なのである。無責任な中央主導開発の人ばかりではないのだ。