平家

「常ならぬことを、むざ引き起こしたのはおのれらだぞ」(1P.15:平治の乱で上皇)

ちょうど、梁塵秘抄を読んだので、後白河上皇ってどんなんだったかなぁと思い、手にとって読み直してみた。大本の平家物語でも、吉川英治の新平家物語でも良かったんだけど、一番手軽な感じだったので。
保元、平治の乱ぐらいから話が始まって、藤原貴族を現在の官僚と捉え、行革に断を振るう、上皇と改革者清盛のお話として構成されている。流石に、現在官僚機構とそこまで写し合せて分かりやすくしたつもりなのだろうけど、反対に説得力に欠けちゃうのかなと。そこまで、官僚を矮小化してしまうのもどうかなぁと。

人の仕合せ、というのは案外そういうものかも知れない。今日一日を、何の苦もなく送る。(2P.100)
国を富ますことは、官を富ますことではない。(4P.338)

とはいえ、小説としては充分面白く構成されていて、後白河上皇の人物像の書き方や、源義経がその手引きによって、清盛の行政改革の後継者と目されているところなど、新たな解釈の提示は面白く読めた。上皇と清盛は対立しつつも改革にまい進する仲間として描かれる。

「なに、おれは小狡いのよ。戦場のの危うきを避けて高みの見物を企む......だが、負けるなよ。おれも配流は真っ平だ」(1P.134:上皇)
「おれは惜しむのだ。相国のやりかけた仕事を......」(3P.280:法皇)
あの男が亡くなったら、この国の将来はどうなる......。(3P.304)


当然、清盛自身は果断な改革者として描かれている。

「一家一門の隆盛は、単に政治の玩弄で成し遂げられるものではない。」(1P.96:清盛)
人は、高きに昇るほど、恭謙であらねばならぬ(2P.43)
おれは独力で、天下を覆すほどの改革を志している。子や孫を犠牲にすることは已むを得ない。(2P.82)
彼の改革の熱意は、おのれ自身の名利はおろか、平家一門の名を泥土に埋没させてもよい、とさえ思っている。(2P.125)
「後の世に強欲非道の似非法師とさげすまれてもよい。今は世を変える金がほしい。」(2P.152:清盛、摂関領の横領の決断で)
盈つれば虧くる(中略)虧くるまでに、生涯を賭けた志を遂げたい。(2P.289)
何ごとも、天運である。わしは天運の続く限り、救国の理想を貫く。それだけでよい。(2P.172)

と、同時に一門のふがいなさを嘆き、切り捨てる。

わが子弟、恃むに足らず。わが大志を理解する者は、唯の一人も無い。(2P.329)
「その惚けた日常が今日の乱を生んだのだ。」(3P.75:清盛、一門に対し)
「言わねばわからぬような奴は、言うてもわからぬものよ。」(3P.117:清盛、宗盛の評)
「花さく事を得た身でも、実を結ぶことは難しいのだ。」(3P.120:清盛、源頼政の辞世の句に対し)

と。そして、一門の凋落を早いうちから見抜いたのか、源氏の助命や脱走には寛容に接する。

「この家の運が傾けば、源氏ならずとも反逆の徒は現れましょう」(1P.280:池禅尼、頼朝の助命で)
「頼朝がこの世のものでなかったら、彼らは別の名目人を立てる。同じ事だ」(2P.46)
「残酷なようだが抛っておいて、あの小童の運を試してみたいのじゃ......」(2P.169)

清盛が死に、ようやく一門も平家とはなんだったのかを考え出す。

平家は、あくまで武門である。戦に勝ってこそ、武門の存在意義がある。(3P.257)
国は国民のものである。平家が国民の一氏族である以上、国民は国に殉じなければならない。(3P.270)
「平家は日の本あっての平家であり、平家あっての日の本ではない」(4P.229:教盛)
志なき権力者の末路は、飾ることができぬ。(4P.274)

結局、平家が滅び、義経が倒れ、上皇の望んだ清盛の改革は潰え去る。が、著者は夢、と葬り去ってはならない。国は、国民は、日一日と生き、未来へ向かって進む。一日たりと疎かにしてはならない。たとえ一人であっても、力を尽し、大志の実現に歩一歩、進まなければならない。それが人としての務めであり、生きてこの世にある甲斐なのだ(4P.94)と。そして、少しづつでも、変わっていく世の中を見渡し、上皇は言う。

「大志とはそのようなものだ。消え去るように見えて、人を動かし、世を変えるのだ......」(4P.323:法皇)