織田信長

「よくも生涯、小癪な喧嘩を仕掛け続けて来たものよ。勝手にしろッ」(5巻P.424:乱戦の本能寺の中で濃姫に)

なんだか、自分も家内との末期の言葉はこんな感じになりそうだ。とはいえ、本書に出てくる信長のように身を切り家族を切ってまで時代を切り開く自信はない。
稀代の天才、織田信長。これを題材にした歴史小説の白眉といわれる。本書の主役は信長と共に、道三の娘、濃姫だ。濃姫の輿入れのエピソードから本書は書き起こされる。

あるいはお父上を刺す短刀になるかも知れませんが、それでもよろしければ嫁ぎまする(1巻P.36:濃姫が父道三に)

道三自慢の聡明な濃姫が嫁ぎ、爺である平手とともにその家中における味方となる。そして、道三までも、この婿にほれ込む。が、相次いで、平手、道三を失う。

「爺め......爺めは......この信長に、もう、一人で歩けというのか。爺が生きていては、それに頼って、おれの歩みが遅くなると思うたのか......」(1巻P.183:守役平手の死に際して)

「うつけめが......うつけめが......この悪党を本気で助ける気になった......いや、はや、あきれ果てた大うつけ......この道三のために......たわけめが......」(1巻P.371:道三、信長の援軍に対し)

二人の大きな味方と親兄弟親類を失いながら、どうにかこうにか家中を収め、天下を目指して進んでゆく。まさに、身を切る鬼神のような働きぶりだ。

「織田の一族は、新しい世を築くための犠牲になればそれでよいのじゃ」(3巻P.120:信長)

この覚悟の本、真に多くの苦難に立ち向かってゆく。まさに、偉大な天才の特徴は、さまざまな出来事をわが身の小さな禍福と考えず、それが、自分に何を成せと命ずるのかと、その神意を鋭く深く受け取って活用(3巻P.21)し数々の困難を次のステップへと代えてゆく。
信長には「この世をよい世に作り代えてやるのが、いちばん大きな親のまことじゃ」(2巻P.104)という理想があり。他方は主人に理想がないということは、どこまで、人間を悲しく弱くしてゆくものなのか分からなかった(3巻P.206)のだから、勝負の帰趨ははっきりしてきていく。
しかし、この考えを必ずしもすべての家臣が理解できるものではなくなってゆく。人間の心と心を結ぶ理解の糸が断たれることほど恐ろしいものはなかった(5巻P.314)のだ。
その悲劇が本能寺の変を生む。

「たわけめ、天下はうぬらにコソコソと盗めるようなものではないわ」(5巻P.414)

盗める盗めないは、やってみなければわからない。光秀の謀反は抜け目なく成功し、信長、濃姫共に果てる。が、天下は光秀の手からも転げ落ちるのだが、本書は信長と濃姫の話。主役が死ねばそれで終わりなのだ。一人の天才児とそれを支えた奥方の生涯。
歴史小説の白眉という名に違わぬおもしろさである。